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![]() | 槐新田村(近世) 江戸期~明治6年の村名出羽国秋田郡のうち秋田藩領宝永年間の郡村改めの際,高崎村より独立し,黒印村となった村馬場目【ばばめ】川の下流域左岸平野部に位置する初見は「宝永2年黒印高帳」で,村高53石余・当高39石余(すべて新田)とある「享保黒印高帳」で村高89石余・当高64石余(すべて新田),「寛政村附帳」で当高44石余(うち蔵分8・給分36)と認定「天保郷帳」は51石余親郷五十目【ごじようめ】村の寄郷である戸数は「享保郡邑記」「秋田風土記」ともに6軒ただし「秋田風土記」が当村の位置を「久保より八丁東」と記すのは誤り真崎堰開削により,その余水を受けて成立した新田村であり,開削の際,中山丘陵と雀館【すずめだて】の間の切通しを担当した治左衛門の子孫が肝煎となり,苦労した開削部を「治左衛門畷」と名づけ記念としたという(町史)しかし水不足時には余水が届かず,文政7年には真崎堰縄手本分水から直接引水したいと願い出た文書などがある(館越郷民文書)明治6年高崎村に併合となる石崎地区の小字槐とは関係ない地名は現在に伝わらない |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐戸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐戸新田【さいかちどしんでん】 (近世)江戸期の新田名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槐戸新田(近世) 江戸期の新田名七左新田ともいう(神明縁起書)県東南部,綾瀬【あやせ】川左岸の沖積低地に位置する埼玉郡越ケ谷【こしがや】領のうち古くは騎西【きさい】荘に属したというはじめ幕府領,寛文2年常陸土浦藩領となるが,天和2年幕府領に復した寛永年間頃に伊奈氏の代官で神明下村の会田七左衛門政重が開いたという正保国絵図には新田槐戸村として載る「田園簿」にも新田槐戸村として村高1,026石余が記され,伊奈半十郎の代官所であった田と畑の比率は97対3で,ほとんどが水田元禄8年,七左衛門・越巻・大間野の3か村に分村,「元禄郷帳」の七左衛門村には「古者槐戸村」の注記がある現在の越谷市南西部の七左町1~8丁目のあたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐田荘【かいだのしょう】 (古代)奈良期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槐田荘(古代) 奈良期に見える荘園名越後国蒲原郡のうち「つきたのしょう」とも読むか宝亀11年12月25日西大寺資財流記帳によれば,西大寺が越後国に所有した5つの荘園の1つに「同(蒲原)郡槐田庄」と見える平安期の史料には見えず,早くに衰退したと考えられる蒲原郡の式内社槻田神社が鎮座した現在の三条市付近に所在したと考えられている(県史)槻田神社の鎮座地としては,市内の月岡字興野や荒町字殿田が有力視されている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐田荘(古代) 奈良期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槐【さいかち】 米代(よねしろ)川に南面して立地... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槐戸【さいかちど】 県南東部,古綾瀬(ふるあやせ)川右岸の沖積地に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槐門【くゎい-もん】 くゎい-もん【槐門】(カイ―)大臣の異称... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」