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![]() | 押す【おす(1)】 ①【力を加える】push(他)(自)(⇔pull);(押しつける)press(他)(自);(乱暴に)shove[ ![]() ![]() [参照]⇒おすなおすな *車いすを押す push a wheelchair *押さないで Don't push! *彼はその重いドアを押してあけた He pushed the heavy door open. *このボタンを押すと客室乗務員が来てくれます If you press this button, a flight attendant will come and help you. *自転車がパンクしたので押して帰らなければならなかった The tire of my bicycle went flat, so I had to push [walk] it home. ◆*切手に消印を押す cancel a stamp / ここに印を押してください Put the seal here. / きょうはタイムカードを押すのを忘れていた I forgot to punch my time card today. / 事務員は伝票に日付を押した The clerk stamped the date on the slip. ![]() *「すみません,シャッター押して(→写真を撮って)もらえます?」「はい,ここを押すだけですか」 “Excuse me, but could you take a picture for us?” “Sure. Just press here?” ②【圧倒する】overwhelm(他) *彼の気迫に押されてその仕事を引き受けてしまった Overwhelmed by his zeal, I took on the job. ◆*その国の林業は安い輸入木材に押されて低迷している That country's forest industry is weak due to pressure from cheap imported lumber. / 今のところアントラーズが押しぎみに(→攻勢で)試合を進めている The Antlers are playing on the offensive so far. ③【無理・困難を承知で】 *彼は病気を押して(→病気にもかかわらず)チームの応援に行った He went to cheer on [for] his team in spite of his illness. *彼らは親の反対を押して結婚した They got married against their parents' wishes. *そこを押して(→無理な注文でしょうが)なんとかご援助をお願いします I know it's too much to ask, but please help us. ④【その他】 *納品の期限が押している(→近づいている) The deadline for the delivery of goods is approaching [drawing near]. *時間が押しております(→なくなりつつある)ので次の議題に進みます We move on to the next issue as we're running out of time. [慣用表現] *押しも押されもしない [参照]⇒おしもおされもしない / 押すな押すな [参照]⇒おすなおすな |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 押野荘(中世) 南北朝期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押野荘(中世) 南北朝期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押切新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押上町(近世~ 江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押す・圧す【お・す】 [1]力を加えて動かす... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 押谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押切村【おしきりむら】 (近代)明治22年~昭和30年の東田川郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 押上郷(中世) 鎌倉期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 押油小路町【おしあぶらのこうじちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 押油小路町(近世~近代) 江戸期~現在の町名油小路通押小路下ルの町町名の由来は通り名の地点表示による寛永14年洛中絵図には「押油小路町」,承応2年新改洛陽並洛外之図には「押油小路」とあり,「京雀」には「押油小路町」とある天明6年洛中洛外大図には「押油小路丁」とあり,「文政二年軒役」には「押油小路町」,「宝暦町鑑」では「押小路油小路町」としている「坊目誌」によれば当町はもとは二条油小路町の内にあって,宝永5年以来分かれて押油小路町となったという寛永18年以前平安城町並図では「二条押油小路町」としている当町の在住者に四座雑色の一人上雑色五十嵐氏に所属して,替役・転居等を担当した中井氏がいたほかに鞘師・研屋・鞘漆師(京羽二重織留・京羽二重織留大全)等の拵物屋,仕立刀とよばれた刀屋が多く集中し,二条通を中心とした同業者町の一画を形成していた建物としては,慶長10年に僧玄開によって真宗本派本願寺の末寺である照園寺が当町東側に創建されたが,宝永5年・天明8年の両大火に被災し,幕末の元治元年の蛤御門の変で兵火を浴び,明治の初め頃は仮堂があるばかりであった(坊目誌)当町西側には,下総古河藩主土井大炊頭の広大な京屋敷があったが3度の大火で類焼した跡地は明治になり民有地に帰し,それまで押油小路町西側にあった城巽小学校が生徒数増加と校地狭隘を理由に,明治5年当地に移転した以後小学校は生徒数・校庭敷地ともに漸次拡大し,同37年には北隣の敷地を買収して付属幼児園を設置した(同前)移転当初の生徒数は男118・女108人構内にはほかに,会議所・警察第12分署も同時に仮設されていた(府地誌)今日の城巽幼児園である第2次大戦後小学校は城巽中学校となり現在に至る大正7年の戸数49戸,人口男146・女127,家数45軒江戸期は上艮組の油小路七町組に属し,42軒の軒役を負担また祇園会には菊水鉾の寄町として現在の式阿弥町・二条油小路町と併せて地ノ口米1石2斗を納めた明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】24番組,同5年第27区と改称,同25年第22学区に編成同12年上京区押油小路町,同22年京都市上京区押油小路町,昭和4年中京【なかぎよう】区押油小路町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」