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川下【かわしも】
川が流れて行くほう...
[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:704950370]
関連項目:
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![]() | 川下村【かわしもむら】 石狩地方北部,浜益川河口部の日本海沿岸 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 川下町【かわしもちょう】 (近世~近代)江戸期~昭和41年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 川下村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川下町(近世~近代) 江戸期~昭和41年の町名江戸期は鳥取城下四十八町の1町町人地鳥取城の西,城下町の北端に位置し,東は旧袋川に沿う南は丹後片原町と接する丹後片原町が延長してできた町で,元禄11年2月に町立てされた(藩史5)町名の由来は丹後片原町より川下に位置することにちなむ安永7年の戸数50,表口間数87間,町役負担数21人余(同前)千代【せんだい】川から旧袋川を通って運ばれた物資が丹後片原町から当町にかけての為登【いと】場(河岸の石段)で陸上げされ,にぎわった天保4年から明治3年まで武士の稿尾啓次郎が湖月園という名の寺子屋を開いて読み書きを教え,明治3年には男250人・女60人の生徒がいた(藩史3)明治9年の戸数85・人口332(鳥取市史)同22年鳥取市に所属昭和27年鳥取大火後区画整理が行われ,宅地化が進んだ同41年相生町1~4丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川下【かわくだり】 河下(石見国高郷村帳)とも書く... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 川下村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川下通【かわしもどおり】 (近代)昭和22年~現在の当別町の行政字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 川下村(近代) 明治22年~昭和30年の邑智郡の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川下村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川下村【かわげむら】 (近世)江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 川下村(近世) 江戸期~明治8年の村名那須郡のうち蛇尾【さび】川右岸,那須扇状地扇端部の湧水地帯に位置する地名は川崖の地の意味に由来するとも,大田原を起点とした川下【かわしも】の意に由来するともいう(郡役所編那須郡誌)はじめ大田原藩領,元禄10年頃からは旗本久世氏知行村高は,「元禄郷帳」3石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに34石余明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属同7年の「那須ノ原入会組合村高戸数取調書」によれば戸数4・高39石余(大田原市史)明治8年大田原宿の一部となる現在の大田原市若草1~2丁目の地... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」