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![]() | 碁石ケ峰【ごいしがみね】 邑知(おうち)潟低地帯南側,石動(せきどう)山塊西の主峰 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石ケ峰【ごいしがみね】 邑知(おうち)潟低地帯南側,石動(せきどう)山塊西の主峰... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石の黒石と白石はどちらが大きい? ①白石 ②黒石 ③同じにきまってる 正解は②です... |
出典:角川学芸出版「無敵の雑学」
![]() | 碁石海岸【ごいしかいがん】 大船渡湾の南に突き出た末崎半島南東端一帯の海岸... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石【ごいし】 柴田郡川崎町支倉(はせくら)の地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石村【ごいしむら】 (近世)江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石村【ごいしむら】 (近代)明治22年~昭和27年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石村(近世) 江戸期~明治8年の村名備前国児島郡のうち怒塚山西麓に位置し,児島湾に面する古くは中の浦といった宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年からは岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに99石余,「天保郷帳」113石余,「旧高旧領」111石余「備陽記」によれば,岡山京橋まで陸路10里・船路3里,反別5町余,家数23・人数117,池3,船は小猟船から2端帆まで10当村の漁業は小漁師によるもので,隣村の加子浦である郡村・北浦村の許可のもとで行われていた寛政6年当村の沖合に八浜村の漁師が樫木漁の新棹を建てたため郡村・北浦村・当村と八浜村との間に漁場争論が起こり,結局郡の漁場となったまた,文化10年には宇多見村野山をめぐり山論が起きたが,両村入会の裁定が下った(碁石村文書)寺院は児島霊場八十八か所第76番札所の臨済宗妙心寺派慈光山普門寺明治4年岡山県に所属同8年見石村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 碁石村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 碁石山【ごいしやま】 小豆(しようず)郡内海(うちのみ)町南東部にある山... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 碁石川【ごいしがわ】 柴田郡川崎町を東流する川名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」