- JLogos検索辞書>
- 広角とは
[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705020180]
関連項目:
ワンステップ ワンタッチ ワンダン
※この解説文は「JLogos無料版」で全文公開されています
→無料版JLogos【広角(こうかく)】
- amazon商品リンク
![]() | 広角(近世) 江戸期~明治22年の村名江戸期は新宮町村方四か村の1つ,明治8年からは新宮二十五か町村の1つとなる広津野とも書く熊野灘に面し,熊野(新宮)川河口右岸南の海岸段丘上に位置する和歌山藩新宮領村高は新宮町の高に含まれる元和5年の水野氏入封後,新宮町村方四か村の1つとして成立したという(新宮市史)「続風土記」では新宮村方四か村の1つとして村名が見え,「新宮城下より南二十町余,熊野往還にあり」とある地名は,狭野(佐野)に対して広い野の意味でつけられたといわれる寛永2年の「熊野案内記」には「岩穴の如くなる所を通り行く,土人此所を胎内くぐりと云ふ」とあり(新宮市誌),「続風土記」には「村の丑の方十七町,往還の下海辺にあり,平かなる岩の上に盥の如く窪みたる所三所あるを三所洗岩といふ」とある明和~寛政年間ごろの「紀州新宮領分見聞記」には,「後は山,前は田地,家数・高新宮の内,新宮迄半道,宮崎(三輪崎)迄半道,甚だ高き在所なり,新宮此所より下るをカツエ坂と言ふ」とある江戸期は熊野街道,巡礼道と称される街道筋にあたり,往来する人々が多かったという新宮では三輪崎以南を南筋と呼んでおり,明治17年に新宮~三輪崎間に車道が新設されるまでの南筋への旅は,当村の高台から,天明飢饉の餓死者に由来するカツエ坂を下り,血が上流に流れたことに由来するさかさま川(大峪川)を渡り,御手洗【みたらい】を登って東高森から高野坂を下り,三輪崎に行ったという寺院は浄土宗鎮西派真如寺明治4年新宮県を経て和歌山県に所属同6年には戸数48,男137・女117同8年新宮二十五か町村の1つとなり,総代1名を置く(新宮町郷土誌)同22年新宮町新宮の一部となるなお当地名はその後も通称名として残る当地は水利の便が悪く,畑作農業を中心として養鶏,乳牛の飼育などを行い,農家は市場に野菜などを出荷していたが,近年宅地化が進み,ベッドタウン化しつつある昭和49年上水道設備が整った火星の研究で知られる私設田阪天文台がある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 広角レンズ【こうかくレンズ】 カメラで撮影できる画角が大きいレンズ... |
出典:日経BP社「パソコン用語辞典」
![]() | 広角【こうかく(3)】 ━━広角の wide‐angle [複合語]広角レンズ a wide‐angle lens... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」