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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705119580]
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![]() | 白魚(中世) 鎌倉期~室町期に見える地名肥前国松浦郡宇野御厨のうち年月日未詳の百姓等連署起請文案では,先例地頭得分を守護所より尋ねられたので,白魚の古老百姓が地頭峰持と青方高家知行の時のことについて答えている青方氏は小値賀【おぢか】島の開発領主の子孫で,建久7年に小値賀島地頭職を安堵された僧尋覚の次男家高を始祖とするが,家高の時には新たに小値賀島地頭となった峰氏の下沙汰職(地頭代官)となり,領主権を奪われていたしかし家高は,峰氏に無断で所々を子息に割分譲与し,白魚・佐保を譲られた次男弘高は以後白魚氏を称する弘安9年10月2日白魚弘高避状案によれば,中浦部白魚が白魚盛高に譲与された永仁6年8月30日肥前国守護代平岡為尚覆勘状案には,弘高の子息白魚時高が「肥前国要害所姪浜石築地一尺壱寸〈五島白魚田地弐町分〉」を勤仕したことが見えるしかし,この時高(法名行覚)の代になって峰氏との所領争いが表面化した年月日未詳の峰貞陳状案によれば,小値賀・浦部地頭峰貞は,浦部下沙汰職は家高・能高2代に限って認められたものであること,弘高は佐保・白魚代官に任ぜられたが公私無沙汰につき改易され,その時怠状を出していることを述べ,白魚浦は貞領であるとし,行覚を地頭敵対で訴えている一方,行覚は年月日不明の申状案で,佐保・白魚は家高から弘高を経て行覚まで40余年にわたり知行し続けており,それを貞が濫妨したと主張している幕府は参決すべきことを求めたが,年月日未詳および嘉元2年6月25日鎮西探題御教書案によれば,貞は度々の召文を叙用していない行覚は年月日未詳の申状案で,貞が召文に応じないのは自らの罪科を認めているからだとしているが,貞は嘉元2年7月日の申状案によれば,弘高が佐保・白魚の代官であったことは自筆の怠状により明白であると述べ,同年8月3日沙弥高西吹挙状案で貞の請文が進められたことが見える行覚は同年9月日の申状案で,小値賀島本主は尋覚であり,尋覚は小値賀島を嫡子通澄に,浦部島を次男家高に譲り,家高は浦部島を嫡子能高に,同島内佐保・白魚を次男弘高に譲ったことに相違なしとしているそれに対して同年11月日峰貞代長陳状案は,家高は下沙汰職であり段歩も下地を有せざるに所々を子息に割分譲与したのは不当であるとした行覚は,同3年2月日の申状案で重ねて貞の佐保・白魚に対する押妨を訴えているが,貞は同年3月日の陳状案で,弘高が貞の祖父湛の時に代官として召仕われた者であることは文応元年6月24日弘高起請文にも明らかであり,佐保・白魚は家高から通澄を経て峰持に譲られ,貞まで相伝領掌されてきたものであると主張した行覚は年月日不明の申状案で,貞の言う弘高自筆状は偽書であるとし,嘉元3年11月日の陳状案および同4年6月日の申状案によれば,貞との相論に追加の具書等を進めている貞は同年7月日の陳状案によれば,行覚に6問の申状を許したのは違法であると述べている両者の相論は正和4年に至りようやく幕府の裁定を見た同年6月2日鎮西探題裁許状案によれば,佐保・白魚両浦地頭職は貞の知行に相違ないこと,下沙汰職は貞の押妨を停止し行覚が領知すべきことが定められているしかし押領物に関しては規定がなかったため,行覚は文保元年11月日の申状案で,正安3年以後の佐保・白魚以下所々の押領物の糺返を貞に求めて訴えを起こしているその後峰氏との相論については史料に見えないが,嘉暦2年5月日青方覚性代高直申状案によると,白魚に関して行覚の跡の輩と青方覚性(高継)との間で相論があった青方氏の所領青方村は,元応2年12月10日青方高継譲状案には南の堺として白魚が記されているこの相論は,嘉暦2年閏9月29日白魚盛高和与状案によれば,両者の間に和与が成立し訴訟は停止された白魚は,元亨5年6月10日白魚行覚譲状案で行覚から盛高へ,元徳2年5月4日白魚盛高譲状案で盛高から嫡子繁へ譲られたことが知られる繁は,康永3年5月24日白魚繁・沙弥円心連署契約状案によれば白魚の沙汰のことについて契約しているその後,正平12年4月29日白魚政譲状案によると,白魚は政から嫡子乙若丸へ譲られ,正平20年12月13日白魚繁譲状案によれば,白魚河内の田1反が繁から八郎丸へ譲られた下って永享5年10月17日覚契状案には「しろいほ一せきの事」と見え,祐覚が知行することが記されている現在の若松町宿ノ浦郷の白魚が遺称地である |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 白魚洞【はくぎょどう】 通称を「すいこみあな」という... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 白魚屋敷【しらうおやしき】 (近世)江戸期~明治2年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 白魚屋敷(近世) 江戸期~明治2年の町名切絵図には京橋の北側と白魚橋の南側の2か所に見える享保13年,網役12人の拝領屋敷となったことに由来する網役の者は白魚・小肴を献上する白魚役を勤めた(備考)当町から南八丁堀へ架かる橋を真福寺橋といった明治2年,京橋北側の町を北紺屋【きたこうや】町に,白魚橋南側の町を京橋金六町・京橋水谷町に編入現行の八重洲【やえす】2丁目・銀座1丁目のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 白魚橋【しらうおばし】 京橋川が楓(かえで)川と合流する川口近くに架かっていた橋... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 白魚【しらうお】 《魚》icefish[C](複~, ~es) [慣用表現] *彼女は白魚のような指をしている She has fair and slender fingers.... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 白魚献上【しらうおけんじょう】 東京都中央区の佃島漁業協同組合によって催される行事... |
出典:Ea,Inc.「東京辞典」
![]() | 白魚のさかなたること略しけり 作者:中原 道夫(1951生) 季語:白魚(しらうお) 季語説明:シラウオ科の体長十センチほどの小魚で、早春に干し魚として美味... |
出典:Ea,Inc.「JLogosHAIKU(俳句)」
![]() | 白魚のおのが濁りを懼れたり 作者:斎藤 梅子(1929生) 季語:白魚(しらうお) 季語説明:シラウオ科の体長十センチほどの小魚で、早春に干し魚として美味... |
出典:Ea,Inc.「JLogosHAIKU(俳句)」
![]() | 白魚に思へばからき潮かな 作者:羅川(生) 季語:白魚(しらうお) 季語説明:シラウオ科の体長十センチほどの小魚で、早春に干し魚として美味... |
出典:Ea,Inc.「JLogosHAIKU(俳句)」
![]() | 白魚火や国引せしといふ海に 作者:阿波野 青畝(1899生) 季語:白魚火(しらおび) 季語説明:白魚漁の時に燈す明かりのこと... |
出典:Ea,Inc.「JLogosHAIKU(俳句)」