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![]() | 銭塘手永【ぜんどもてなが】 (近世)江戸期の熊本藩の手永名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭司【ぜず】 「でず」「です」「せず」とも発音する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭塘手永(近世) 江戸期の熊本藩の手永名飽田【あきた】郡のうち寛永12年に銭塘手永上奥古閑村の記録があり,同13年には当手永の全村名が知られる(熊本史学38号)同年には惟重手永を合併なお同14年の地撫帳(県立図書館蔵文書)には「銭友与兵衛手永」と見える寛永13年の構成村は,海氏・上奥古閑・銭塘・鵜森・下大保・渋江・北走潟・南走潟・三ケ・平木・方丈・二丁町・惟重・道古閑・下白石・弐町・五町・八丁(八町)・下奥古閑・北中無田・南中無田・浜口・内田新開の23か村であったのち寛文4年までに,下大保・渋江・下白石・浜口の4か村が横手手永へ移され,一方権藤手永の分割に伴い,野田・西新開・小岩瀬の3か村が加わり,計22か村となった「肥後国誌」によれば,前記22か村のほか,中牟田・南中牟田・今・下小岩瀬・江中島・下海氏・海氏新・西銭塘・奥古閑・下沖・中沖・北沖・上内田・下内田・東走潟・西走潟の16か村と河尻町が見え,二丁村は見えないまた江戸後期の諸郡村附帳(圭室家文書)では海氏・奥古閑・東走潟の3か村が見えず,上沖・中沖・北南銭塘・中内田・下内田新開の5か村が増えているなお小岩瀬村が上小岩瀬村,中牟田村が北中牟田村,海氏新村が新村,銭塘村が東銭塘村などと記されている総高は,「肥後国誌」で1万7,736石余手永会所は「事蹟通考」では道古閑村とあり,のち南中牟田村,さらに北中牟田村へ移された惣庄屋は宝暦年間頃まで芥川氏が世襲,その後2代大賀氏が就任,寛政年間以後は所替えによる一代限りの交替が多い明治3年に廃止(肥後藩手永惣庄屋一覧・肥後読史総覧)現在の熊本市南西部・宇土【うと】市北部と富合町の北西の一部にあたる地域... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 銭壺山【ぜにつぼやま】 玖珂(くが)郡由宇(ゆう)町神東と柳井(やない)市日積の境に位置する山... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭壺山【ぜにつぼやま】 玖珂(くが)郡由宇(ゆう)町神東と柳井(やない)市日積の境に位置する山... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭原村(中世) 室町期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 銭形平次はフリーター!? 時代劇のヒーロー、銭形平次(野村胡堂原作)は、江戸は神田明神下に住む岡っ引きです... |
出典:角川学芸出版「話を盛りあげる究極の雑学」
![]() | 銭瓶峠【ぜにがめとうげ】 赤松の嶺ともいう(豊国紀行)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭瓶峠【ぜにがめとうげ】 赤松の嶺ともいう(豊国紀行)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 銭湯【せんとう(4)】![]() [日本事物] 銭湯は入浴料を払って入る公共の浴場です.しかし最近では銭湯は日本中で少しずつ減少してきています.というのも現在ではほとんどの家にはふろがあるからです.しかし銭湯は,ふろのない部屋に住む人々にとって今でも欠かせないのはもちろんのこと,地域社会の人々との交流の場として大切な役割を果たしています. A sento is a public bath which people have to pay for. But in recent years, sento are gradually decreasing in number all over Japan mainly because most people now live in houses with baths. Even now, however, sento are indispensable to some people who do not have baths at home, and they still play an important role as a community gathering place where people enjoy communication with others. ... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 銭亀古墳【ぜにがめこふん】 伊万里(いまり)市東山代町日尾にある古墳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」