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![]() | 息栖神社【いきすじんじゃ】 鹿島郡神栖(かみす)町息栖にある神社 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 息浜【おきのはま】 (中世)鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 息浜(中世) 鎌倉期から見える地名筑前国那珂郡のうち澳浜・興浜・奥浜・沖浜とも書く元来は博多湾沿岸の砂州であったものが次第に陸化したと考えられる初見の「蒙古襲来絵詞」によれば,文永の役時に日本軍は当地を固めていた元弘3年3月の菊池武時の挙兵時には菊池氏は当地を宿所としていた(博多日記/鎮西探題史料集下)元弘3年8月には大友貞宗が建武政権より当地を宛行われたが(大友文書/大日料6‐1),貞和2年8月11日の高師直施行状案によれば,鎮西管領一色範氏の愁訴により鎮西管領在所となり,大友氏には替地が約束された(青方文書/纂集)貞和6年3月,中国船が「息浜津」に着岸しているように(園太暦所収文書/南北朝遺2716),早くから対外交渉の要地となっていた同年には息浜地頭職が足利直冬から詫磨宗直に宛行われた(詫摩文書/同前2747)ここには妙楽寺・光明寺などの禅宗寺院や時宗の称名寺があったが,妙楽寺は宝徳3年の遣明船派遣の際の博多における根拠地となっている(允澎入唐記/日明勘合貿易史料)室町期には再び大友氏の領有下に入り,大友氏は田原貞成を博多興浜代官として派遣し,対外交渉の任にあたらせた文明10年10月14日には興浜の住人が妙楽寺の破却を企て,大内氏から誅伐されている(正任記/博多史料2)戦国期も引き続き大友氏領であったが,文明11年11月25日の野かミ景郷書状によれば,対馬船の入船公事・点役公事は大内氏も賦課しており(宗家御判物写/長崎県史史料編1),権益が錯綜していた大友氏と大内氏の度重なる戦闘で,ここは両者の争奪の対象となり,天文7年の和睦後も大内氏が「興浜内浜口」を返還しなかったため,天文11年大友氏はこれを室町幕府に訴えた(大友家文書録/博多史料4)その結果,興浜は大友氏領に復したと考えられ,天正15年の秀吉の博多直轄領化まで大友氏の支配下にあった現在の博多区須崎町から蔵本町に至る一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 息【いき】 たとえば、こんな発見をしたことはないだろうか? 春先のテレビ番組改編時に特番のドラマを見ていると、俳優はパステルカラーの春色の服を着ているのに、セリフをいうと画面に白い息が吐かれているのが映し出されるというような……... |
出典:東京書籍「雑学大全2」
![]() | 息巻く【いき-ま・く】 [1]勢力をふるう... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 息子は妻をめとるまでは息子であるしかし娘は母親にとって一生涯、娘である 【名言名句】 息子は妻をめとる までは息子であるしかし娘は母親にとって一生涯、娘である 【解説】 息子は結婚すると、自分の家庭を守らなければならなくなる... |
出典:あすとろ出版「名言名句の辞典」
![]() | 息栖(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 息づく【いき-づ・く】 ((「いきつく」ともいう))[1]苦しそうに息をつく... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 息障院【そくしょういん】 比企(ひき)郡吉見町御所に所在... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 息長村(近代) 明治22年~昭和30年の坂田郡の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 息【いき】 [1]呼吸... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」