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大文字【だいもんじ】
【1】大きく太く書いた文字...
[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705182490]
関連項目:
ワンステップ ワンタッチ ワンダン
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![]() | 大文字山【だいもんじやま】 毎年八月一六日、人々の願いを祈っておこなわれる京都の「五山送り火」 |
出典:東京書籍「雑学大全2」
![]() | 大文字町【だいもんじちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 大文字町(近世~近代) 江戸期~現在の町名御幸町通御池下ルの町寛永14年洛中絵図に,大文字町とあり,以後変化なく現在に至る当町には,五畿内・近江の大工・大鋸・杣・木挽の四職を支配していた大工頭の中井主水が,近世前期に居住していたが,宝永大火後,寺町丸太町上ルの地に移ったその他,魚釣針屋伊右衛門(京雀跡追),大仏師法橋善慶,製薬屋遠藤出羽,具足屋岩井与右衛門(京羽二重),美濃紙を扱う紙問屋美濃屋勘右衛門(京羽二重織留)などがあり,「京都大概覚書」には,矢師鷹羽屋平兵衛の名が見える軒役は38軒役を勤め,祇園会には鷹山の寄町として,2斗5升の地ノ口米を納めていた江戸期は上艮組の太郎助廿八町組に属し,明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】27番組,同5年第30区と改称,同25年第25学区に編成明治12年上京区大文字町,同22年京都市上京区大文字町,昭和4年中京【なかぎよう】区大文字町となり現在に至る大正7年の戸数48,人口男139・女150当町北部は,昭和20年の建物強制疎開,第2次大戦後の御池通拡張により道路敷となっている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大文字町【だいもんじちょう】 (近世)江戸期~明治15年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 大文字町(近世) 江戸期~明治15年の町名明治14年からは伏見を冠称伏見町のうち北組坪井組16町の1つ帯屋町の西,毛利橋通から南に位置する当地域は伏見築城の際の外濠の土砂で造成したと伝える(府地誌)豊公伏見城ノ図によれば南北路の西側は町家地,東側は北部は町家地,南部が西川屋敷で,江戸期には西川屋敷が廃絶しており,町の北東部に帯屋町の宝福寺の境内が広がっている(山城国伏見街衢並近郊図)高瀬川が開削されて高瀬舟運が発展すると,当町も高瀬舟の船頭・舟子・綱曳きなどの居住地となり,木挽町筋の町に加わり(伏見鑑),高瀬運輸が鉄道輸送にとって代わられるまで町のにぎわいが続いた天保頃の軒数は12軒(伏見町誌)明治元年9番組,同5年伏見第11区,同7年第3区,同12年伏水第4組に所属同14年紀伊【きい】郡第8組,同年10月東町外39か町のうちとなる同15年伏見西大文字と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大文字町【だいもんじちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 大文字町【だいもんじちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 大文字町(近世~近代) 江戸期~現在の町名黒門通御池下ルの町寛永14年洛中絵図には,すでに大文字町と見える「京雀」には「大もんの町」とも記されている当町の面する黒門通は,天正14年,豊臣秀吉が聚楽第を造営した際に新たに開いた街路で,当町の本格的な発展もそれ以降のことと考えられるまた,黒門通の名称由来については,「宝暦町鑑」に「黒門通といふは,太閤秀吉公聚楽城の鉄門の有し通ゆへ号す」とあり,「大もんの町」との関係が示唆されているが,詳細は不明江戸期は川西九町組の四町組に属し,軒役は38軒役を負担明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】23番組,同5年第26区と改称,同25年第21学区に編成明治12年上京区大文字町,同22年京都市上京区大文字町,昭和4年中京【なかぎよう】区大文字町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大文字町(近世~近代) 江戸期~現在の町名河原町通竹屋町上ルの町町の成立については,「坊目誌」に「宝永五年迄西側は寺地也道路をはさんで東側に浄土宗大光寺,真宗忍性寺あり大火後二寺共に二条川東に移る……爾後町地と為る」と記されているただ,寛文12年洛中洛外大図にはすでに「大文字町」の名が見えていることから,寺地となっていない河原町通の東側に町屋が開かれていたことがうかがえるなお,「宝暦町鑑」には「北組南組二町にわかる」とあるが,合併年代については不明江戸期は下中筋組の上河原町十二町組に属し,明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】31番組,同5年第31区と改称,同25年第26学区に編成明治12年上京区大文字町,同22年京都市上京区大文字町,昭和4年中京【なかぎよう】区大文字町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 大文字町【だいもんじちょう】 (近世)江戸期~明治15年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 大文字町(近世) 江戸期~明治15年の町名明治14年からは伏見を冠称伏見町のうち北組聚楽組42町の1つのち北聚楽組に所属(泰平俯見御役鑑)竹田街道東1筋目の南北路に沿い,南は米屋町に隣接城下町時代からの町家地になっているが(豊公伏見城ノ図),馬責場に近く,馬の定繋場があったともいわれる一名博労町と称した(新市域各町誌)江戸期は町家地である天保頃の軒数は19軒(伏見町誌)明治元年10番組,同5年伏見第9区,同7年第2区,同12年伏水第2組に所属同14年1月紀伊【きい】郡第6組,同年10月京町南8丁目外50か町連合のうちとなる同15年木挽町筋西1筋目の大文字町と区別するため伏見東大文字町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」