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![]() | 竹崎(中世) 鎌倉期~戦国期に見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹田(古代~中世) 平安期から見える地名城下郡東郷のうち現在の田原本町八田・法貴寺を中心とする一帯を指したらしい当地の荘園のうち,雑役免竹田東荘・竹田南荘・竹田北荘あるいは糸井北荘・糸井南荘の荘田は互いに隣接し,坪付も入り組んでいた①竹田東荘興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「竹田東庄四町八段廿(卅)五歩」とある公田畠8段35歩・不輸免田畠4町からなり,不輸免田畠はすべて僧供免田荘田は城下東郷14条2里を中心に13条2・3里,16条1里の合計8か坪に分布したこの坪付は現在の田原本町法貴寺・西井上【にしいね】付近にあたる②東竹田荘興福寺東金堂領平安末期~鎌倉初期とみられる紛失状の断簡(春日大社文書3)に「東金堂四ケ御庄……東竹田庄沙汰人僧」と,当荘荘官が与判している③竹田南荘興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「竹田南庄十二町四反半」とある公田畠7町3段240歩・不輸免田畠5町300歩からなり,不輸免田畠の内訳は僧供免田4町・福田院田1町300歩荘田は城下郡東郷12条1里,13条1・2里と16条1里の合計21か坪に分布したこの坪付は現在の天理市庵治【おうじ】町の東南部から田原本町八田の北西部にあたる正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)には「南竹田庄米一石八斗三升五合……餅六十六枚」とあり,興福寺維摩会の用途を賦課されている④南竹田荘興福寺東金堂領平安末期~鎌倉期とみられる紛失状の断簡(春日大社文書3)に「東金堂四ケ御庄 南竹田庄沙汰人忍海」と,当荘の荘官が署判している⑤南竹田興福寺十二大会料所天文19年閏5月日付十市郷諸荘進官米会所目代分納帳(京大一乗院文書)に「南竹田進官八田方沙汰分斗」と見える興福寺目代の知行するところで,春日若宮祭・興福寺十二大会の用途を負担した雑役免竹田南荘の後身か⑥竹田北荘興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「竹田北庄廿一町二反小」とある公田畠7町35歩・不輸免田畠14町2段85歩からなり,不輸免田畠の内訳は春宮大夫御位田1町7段80歩・僧供免田4町・左京職田5町4段・無主位田3町120歩荘田は城下郡東郷14条1里・15条1里を中心に,14条2里,15条2・3里,16条1里にわたる合計30余か坪に散在・分布したこの坪付は現在の田原本町鍵・小阪を中心に法貴寺・東井上などに及ぶ正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)には「北竹田庄米三石七斗七升……餅百五十二枚」と,興福寺維摩会の用途を賦課された⑦北竹田荘興福寺東金堂領平安末期~鎌倉期のものとみられる紛失状の断簡(春日大社文書3)に「東金堂四ケ御庄……北竹田庄沙汰人宗岡」と見え,当荘の荘官宗岡氏が署判している⑧中竹田荘興福寺寺門領正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)に「中竹田庄米二石五斗……餅百枚」とあり,興福寺維摩会の用途を賦課されている下って室町期の康正2年にも維摩会勾当米3石9斗が課せられた(寺社雑事記康正2年12月26日条)⑨竹田春日若宮祭礼料所戦国期の春日若宮祭礼并薪之神事料所注文(天理図書館所蔵文書)に「檜垣 竹田 給人中路修理□」と見えるまた当地は大和四座猿楽の1つ,竹田座の本拠地同座は円満井座・円満寺座とも称す世阿弥の「申楽談義」に「大和竹田の座,出合の座,宝生の座と,うち入うち入有,竹田は,〈河勝よりの〉根本の面など重代有」とある外山・結崎・坂戸の3座とともに興福寺薪猿楽・春日若宮猿楽を勤仕した秦河勝を先祖と仰ぎ,村上天皇の頃の秦氏安から世阿弥の頃の竹田ノ毘沙王権守長子光太郎・三男金春権守に至るまで26代を数えたというから,その創立は少なくとも鎌倉期には遡るらしいまた代々聖徳太子作の鬼面,春日の御神影,仏舎利を伝世したと伝える(風姿花伝・円満井座法式)金春権守の孫は世阿弥の女婿となった能役者金春禅竹で,晩年は竹田大夫と称しているなお同座の所在地を現在の田原本町西竹田に比定する通説がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹野郡【たけのぐん】 古代~近代の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 竹原荘【たけはらのしょう】 (中世)平安末期~戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 竹原荘(中世) 平安末期~戦国期に見える荘園名那東郡のうち「兵範記」保元2年3月29日条に引用された同年12月25日付の太政官符(大成)に「一,故左大臣(藤原頼長)領……阿波国壱処 竹原庄」とあるのが初見当荘は左大臣藤原頼長の所領であったが,保元の乱で敗死したため没官され,後白河院領に組み入れられている長寛元年9月25日の二品家政所下文(阿波八鉾神社文書/平遺3268)に「二品家政所下 一院御領阿波国竹原野御庄鎮守八桙社神官等」とあり,天皇・上皇の長寿と二品家ならびに子息の加護,年貢輸送船の海上安全を祈願して,金泥法華経などの経典と当荘内の水田5反を寄進しているなおこの文書については検討の余地がある八桙神社は現在の阿南市長生【ながいけ】町宮内にあり,大己貴命を祀る延喜式内小社の古社であり,長国造の氏神である下って鎌倉期の承元3年8月日の阿波竹原荘政所下文(隆善寺文書/徴古雑抄1)に「竹原御庄政所下 定補五ケ所惣講師職事」とあり,僧寛賢が補任されている嘉元4年6月12日の永嘉門院(瑞子女王)御使家知申状并昭慶門院(憙子内親王)御領目録(竹内文平氏所蔵文書/愛媛県史資料編古代中世)に「一,今林准后御領……竹原庄〈長隆,被進遊義門院〉」とあり,富吉荘(現藍住町)および当荘に「為安楽光院御領,室町院御遺領内也,被付于中務御遺跡之時,入道将軍所被領知也,其後分明之時,為亀山院御分,于今御知行無相違,根本隆房卿之旧領也,非実氏公之領」と注記があり,当荘は安楽光院の寺領で,室町院領に含まれていたが,その後宗尊親王から亀山院に伝領されて遊義門院領となったことが知られ,西園寺実氏の所領ではなく,四条隆房の旧領で,当時は葉室長隆が領家であったまた「公衡公記」乾元2年正月23日条の昭訓門院御着帯の記事によれば,判官代葉室長隆は乾元元年の冬に昭訓門院庁の年預に補され,料所として「阿波国竹原庄」を賜ったという(纂集)元弘元年2月3日の清信去状(宮内庁書陵部所蔵文書)に,「而去嘉暦弐年為阿波国竹原庄公用,雖令借用日吉上分物用途参拾貫文,彼庄得替之間,不及糺返件用途」とあり,当荘の公用として日吉上分物30貫文を借りていたが,得替されたため,相伝の私領梅津荘内の田地4反を去り渡している下って南北朝期の観応2年正月7日の細川頼春安堵状(安宅文書/徴古雑抄2)によれば,「阿波国竹原庄内本郷地頭職」を安宅一族中に安堵しているついで文和3年2月日の橘頼貞清原氏実連署寄進状写(隆善寺文書/徴古雑抄1)に「阿波国竹原庄本郷恒貞名内畠之事」とあり,八幡宮前又五郎男屋敷内にある畠2反が,又五郎男が罪科人となり忌があるという理由で泉福寺に寄進されているまた永和2年2月9日の梵祚宛行状写(同前)では「宛行 竹原本郷地頭御方若宮免事」とあり,3反の田畠(うち田1反は正清田,畠2反は敷地)を泉福寺の坊主に宛行っている下って明徳3年2月9日の年紀のある泉福寺鐘銘(隆善寺蔵/徴古雑抄4)には「敬白 阿州南方竹原本郷泉福寺」とあるなおこの泉福寺は現在廃寺であるが,本郷の後身と推定される江戸期本庄村の泉里(現阿南市長生町字宮ノ本)にあったという文明8年5月15日の細川持常安堵状(柏木文書/徴古雑抄3)では,「阿波国長山仁宇谷郷并竹原五箇庄」を高4,500貫で仁宇対馬守に安堵している荘域は現在の阿南市長生町・宝田町を中心とした地域に比定されるなお江戸期の「阿波志」那賀郡の項には「竹原荘」が見えるが,村名などの記載はないまた平城宮から出土した木簡に「阿□⊏ ⊐竹原郷」と見え(平城宮木簡概報15),当地を指す可能性も考えられるが,未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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![]() | 竹野新荘【たかののしんしょう】 (中世)鎌倉期~南北朝期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 竹松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹野新荘(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名筑後国のうち竹野郡・山本郡・御井郡にまたがる地域平安期に成立した竹野本荘と区別して竹野新荘と称す竹野東郷・竹野西郷・河北郷・山本郷の4郷が存在文永10年6月10日草野永種は養子永平へ「竹野御荘河北郷内」の畠地,その他同郷惣公文職・押領使職等を譲った(草野文書/県史1‐下)「西大寺文書」によると,当荘はもと鳥羽院領であったものを伏見天皇が受け継ぎ,西大寺四王院に施入したものであった(県史1‐下)正応元年11月9日の文書に引く西大寺田畠目録には,「筑後国竹野庄年貢百十石」とあり(西大寺文書/同前),建長8年の筑後国惣図田帳には,「十一面堂領竹野新庄内八百⊏ ![]() |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹田(中世) 鎌倉後期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 竹取物語【たけとりものがたり】 作者・成立 作者は未詳... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」