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![]() | 直ぐ【すぐ】 [代表訳語] ①§まもなく§soon, before long ②§ただちに§at once, immediately, right away ③§近くに§near, close ④§簡単に§easily ①【まもなく】soon, before long [参照]⇒もうすぐ *彼はすぐよくなるでしょう He should get well soon. *すぐ戻ります I'll be back soon [in a little while]. *雨はすぐにやむよ The rain will stop soon [before long]. *子供たちはすぐそのゲームに飽きてしまった The children soon got bored with the game. *もうすぐ夏休みだ Summer vacation is 「coming soon [just around the corner]. ②【ただちに】at once, immediately, right away *すぐ医者に診(み)てもらったほうがいい You'd better see a doctor at once. *何か困ったことがあればすぐ電話してください Should you have any trouble, call me at once. *彼は仕事を終えるとすぐに帰宅した He returned home immediately after work. *彼はひとめ見てすぐに私だと分かった He recognized me immediately. ◆*今すぐここから出ていけ Get out of here this minute! / そのうわさはすぐに学校中に広まった The rumor quickly spread throughout the school. / 彼はその場ですぐに返事をした He replied 「then and there [right on the spot]. / 和歌子はロンドンに着くとすぐに私に電話をくれた Wakako called me 「as soon as [the instant] she arrived in London. ![]() *「出発する時間だよ」「今すぐ行くよ」 “We must leave now.” “I'm coming right away.” ③【近くに】near, close[kl ![]() *公園はすぐそこです The park is 「near here [right over there]. *小さな教会が農場のすぐ近くにあった A small church stood close by the farm. ◆*すぐ近くの公園 a nearby park / 銀行はここからすぐです The bank is only a short way from here.≒It's no distance from here to the bank. / その事故は私のすぐ目の前で起こった The accident happened right before my eyes. / ドアのすぐ外で待っていてください Please wait just outside the door. ④【簡単に】easily *母はすぐ腹を立てる My mother gets angry easily. *彼はだれとでもすぐに仲よくなる He is a person who makes friends easily. ◆*彼はつまらないことにすぐかっとなる He is quick to get angry about little things. |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 直江津今町【なおえついままち】 (近世)江戸期の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 直す【なおす(1)】 ①【修理する】repair(他);mend(他);《口語的》fix(他) [使い分け] repair:§道路・橋・車・機械など規模の大きい,または仕組みが複雑なものを修理する場合に用いることが多い. mend:§衣服など手先で簡単に修理できる場合に用いることが多い. fix:§特に口語で上記のいずれの場合にも用いる. *雨漏りの心配があるので屋根を直す必要がある We need to repair the roof [The roof is in need of repair] as it might leak. *このボタンが取れそうだ.直してくれない? This button is coming off. Will you fix it? ◆*スカートのウエストの部分を直してもらわなければならない I have to have the skirt adjusted [altered] at the waist. ![]() *「このテレビを直してくれますか」「いいですよ」 “Can you repair [fix] this TV, please?” “No problem.” ②【訂正する】correct(他) *彼女は私の報告書の間違いを直してくれた She corrected the errors in my report. *メラニーはその生徒の発音を直した Melanie corrected the student's pronunciation. ◆*この時計,5分遅れてるから直しておいて Could you adjust this clock? It's five minutes slow. ③【翻訳する】translate(他),put ‥ into ~ *日本語の手紙を英語に直す translate [put] a Japanese letter into English ◆*サンスクリット語を漢字に直す(→音写する) transcribe Sanskrit into Chinese characters ④【換算する】 *円をドルに直す change yen into dollars ⑤【…し直す】 *原稿を書き直す rewrite a manuscript *もう一度始めからやり直そう Let's start all over again. *答案を出す前にもう一度見直しなさい You'd better look [read] your paper over again before handing it in. *(電話で)後でこちらからかけ直します I'll call you back later. ⑥【その他】 *ネクタイを直す adjust [(→まっすぐにする)straighten] one's tie / 化粧を直す touch up one's makeup *悪い癖(くせ)を直すのは容易ではない It's not easy to 「get rid of [break] bad habits. *お菓子をあげたら妹は機嫌を直した My sister got back into a good mood when I gave her some candy.... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 直江津今町(近世) 江戸期の町名頸城【くびき】郡のうち江戸初期は春日山城,福島城の城下町の一部,慶長19年高田城築城後は高田藩の港町単に今町ともいった関川左岸の河口部直江の地名は,単調な砂浜海岸が続く海岸線の呼び名に由来すると考えられる(直江津町史)今町は,江澗【えま】町が訛ったものともいう(同前)なお,福島城古図には海岸側を直江町,内陸側を今町と記したものがあるので,関川左岸の砂丘上に古くからあった直江町に対して,新しくできた内陸部の町を今町と呼んだと考えられるそして,慶長19年高田城築城に際し,直江町の住人が高田城下の直江町に移ったことにより,江戸期の当町域が今町と呼ばれるようになったと思われるはじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年からは再び高田藩領高は,「天和高帳」では今町63石余,「天保郷帳」では今町97石余延宝7年越州四郡高帳には,「今町船着,但高無シ,此処酒屋拾壱軒」と見えるので,天和検地に際して高請されたと思われる「天和高帳」によれば,反別は屋敷のみで8町余天和元年では,新町・川端町・中町・中島町・片原町・横町・寄町・山砂山(のち本砂山)町・浜砂山(のち裏砂山)町・大湊町(その後は見えない)の10町からなり,家数612・人数2,937のち,坂井町新川端町・新坂井町などがふえ,天保9年では12町,家数1,295・人数5,974の住人があった(同前)延享3年直江津今町村鑑帳によれば,職業構成は問屋10・御廻米御蔵宿8・酒屋2・米商売28・竹木商売14・茶商売16・質屋6・細物商売7・旅籠屋7・家大工2・船大工24・木挽4・鍛冶屋7・漁業55・小揚106・日雇取200余・船乗62・小宿200余・遊女屋11・浮身屋11とあり,また,船数は川船30・廻船17・漁船34・請買船15・大網船17・投網船4とあるように,廻船や漁業に従事する零細な住人の割合が高かった江戸前期は高田町奉行,あるいは今町奉行の支配下にあったが,元禄14年から町役は大肝煎(大庄屋)・大年寄が各丁頭を統轄し,湊役は高田藩の領奉行が沖の口年寄などを管轄した(同前)直江津港の移出品は米をはじめ,大豆・小豆・小麦・油粕・干鰯・煙草など,移入品は塩・鉄・茶・四十物【あいもの】などであった塩の大部分は高田の小町三町の塩問屋,四十物は高田の田端町の肴問屋によって信州方面に売捌かれたこのように高田藩は高田城下の商人に多くの特権を与え,直江津では廻船業・川船業などが保護されたほかはきびしく制限されたしかし,直江津商人も次第に経済力をつけ,高田商人と争うようになった宝暦年間の四十物出入と安永年間の生魚出入では,大肝煎役をつとめた豪商福永十三郎が直江津商人を代表して高田の田端町問屋と争ったこの2つの出入により,魚類販売権が部分的に直江津商人にも認められ,のち十三郎は義人として顕彰され,石地蔵が建立された(昭和7年には福永神社が創建され祀られた)明和5年高田藩は直江津港での運上徴収の移入品目を19から,新規に58品目をふやしたため,町役人・問屋は撤回を歎願し,小揚など港湾労働者や零細な商人・住人が新役見立人稲垣市十郎宅を打ちこわすという騒動が発生した藩は足軽200人ほどを派遣して鎮圧をはかるとともに,新規課税を撤回したこの騒動は明和の運上騒動と呼ばれるその後も,文政4年の肴騒動など,高田商人との間に争論を繰り返した当地は地震・大火・波崩などの災害も多く,宝暦元年・弘化4年の大地震,明和4年・文化15年・天保15年・弘化4年・安政5年の大火で多大な損害を受けたまた,文政11年の波崩で本砂山町・片原町の住人30軒が塩屋新田地内に立退き,同12年の波崩で本砂山町・片原町・川端町の住人70人が新坂井町に移転している神社は寄町裏の住吉神社と新川端町の金刀比羅神社寺院は真宗大谷派聴信寺(中町)・林覚寺(本砂山町)・林正寺(寄町),浄土真宗本願寺派勝蓮寺(横町)・長徳寺(同町),浄土宗光明寺(寄町),曹洞宗竜泉寺(横町)・観音寺(同町),日蓮宗延寿寺(寄町)天保2年小林百哺は新町の自宅に私塾牙籌堂を開設,上越・信州から多数の門人が集まったのち百哺は,藩校修道館の算学教師等をつとめた明治初年から各町は直江津を冠称する明治5年長徳寺に柏崎小学校今町分校が開校,同6年校舎新築し今町小学校となる(現直江津小学校)明治5年荒川橋が架設された同6年新潟県は半官半民の運漕会社を設立,汽船新潟丸を新潟~直江津間に就航させたまた,明治15年頃には佐渡沢根~直江津間の定期航路,同17年には敦賀~新潟間の定期航路が開設され,寄港地となった明治12年からは中頸城郡に所属同18年信越線の直江津~新井間が開通し,同21年には軽井沢まで開通して,当地は海陸の交通の要地として発展した明治19年直江津15町が合併して直江津町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 直方藩【のおがたはん】 (近世)江戸期の藩名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 直方藩(近世) 江戸期の藩名はじめ東連寺藩と称したが,延宝3年改称外様大名柳間詰元和9年初代福岡藩主黒田長政の4男高政が,長政の遺言により,第2代福岡藩主黒田忠之から鞍手・嘉麻・御牧【みまき】(遠賀【おんが】)3郡の内に4万石を分与されて成立分知時の所領は,鞍手郡のうち上堺町・上堺村・赤地村・頓野村・感田【かんだ】村・野面村・木屋瀬村・知古村・勝野村・御徳村・鶴田村・竜徳村・上新入村・下新入村・中山村・小牧村・新北【にぎた】村・新延【にのぶ】村・室木村・宮田村・本城村・大隈村・磯光村・小隈村の24か村・3万4,103石余,嘉麻郡のうち下口原村・勢田村・鹿毛馬【かけのうま】村の3か村・3,011石余,御牧郡のうち篠田村・金剛村・楠橋村の3か村・2,885石余の合計30か村・4万石「寛文朱印留」では,鞍手郡のうち上有木村・下有木村ノ内・水原村・上新入村・竜徳村・宮田村・頓野村・南良津村・勝野村・金丸村・新北【にぎた】村・八尋村・中山村・室木村・野面村・篠田村・金剛村・上境村・下境村・磯光村・新多村・赤地村・上大隈村・鶴田村・山部村・本城村・御徳村・新山崎村・竹原村の29か村・高2万9,439石余,嘉麻郡のうち鹿毛馬村・口原村・勢田村・下臼井村ノ内の4か村・高3,673石余,遠賀郡のうち市瀬村・穴生【あのお】村・引野村・馬場山村・則松村・上香月村・下香月村・折尾村・本城村・永犬丸【えいのまる】村の10か村・高6,887石余の合計43か村・4万石になっているはじめ高政は高取に入るはずであったが,種々の事情から高取から1里半余隔てた鞍手郡新入村東連寺に入ることになった寛永3年東連寺に館が築かれ,同11年には高政が入部して東連寺藩が成立した同13年,東連寺の町割が実施され,町屋敷の普請が行われた寛永15年高政は島原の乱に出陣したが,翌16年30歳で死亡高政には嫡子がなかったため,忠之の2男之勝を嗣子として家督を相続させた第2代之勝は寛文3年に死亡之勝にも嗣子がなく,第3代福岡藩主黒田光之の3男長寛(綱政)を跡継ぎとして,家督を相続させた高取焼は,朝鮮出兵の時,黒田如水・長政が朝鮮の陶工八山を連れ帰り,筑前入国後鞍手郡高取山に置いて山麓の永満寺宅間窯で陶器を焼かせたのにはじまるといわれる一国一城令によって高取城が廃されると,窯は同じ鞍手郡の内ケ磯へ移り,寛永7年には穂波郡幸袋の白旗山に移った延宝3年東連寺という名を藩士たちが仏寺にちなんだ名として忌んだため,付近の村の名をとって直方と改め,藩名となった延宝5年福岡藩主黒田光之は長男の綱之を廃嫡とし,すでに直方藩主となっていた長寛を嗣子としたこのため直方藩は廃止され,その所領は福岡藩に返還されたしかし,実際には明石助九郎と喜多村半右衛門に直方領の支配が命じられ,廃藩後もそれまで同様の支配が行われた元禄元年綱政が第4代福岡藩主となると,弟の長清に鞍手郡のうちに新墾田5万石を分与し,再び直方藩が成立この時の所領は公式には鞍手郡内の新田をもって与えられることになっていたが,実際は鞍手・嘉麻・穂波・遠賀4郡のうち61か村・5万402石余が所領とされたその内訳は,元禄3年直方藩郷村高辻目録によれば,鞍手郡が南良津・勝野・新北・室木・八尋・本城・上大隈・磯光・竜徳・鶴田・新山崎・新多・御徳・赤地・下境・上境・中泉・永満寺・畑・野面・笹田・金剛・知古の各村および山部村・上新入村・宮田村・頓野村の各一部で,計24か村(ママ)・2万5,804石余,嘉麻郡が口の原・鹿毛馬・勢田・下臼井・漆生・佐与・鴨生・上三緒・下三緒・立岩の10か村・9,735石余,穂波郡が目尾・幸袋・大日寺(庄内村の内)・吉北・柳橋・津島・小正・中・川津・横田・伊岐須・伊川・花瀬・潤野の14か村・7,659石余,遠賀【おんが】郡が馬場山・上香月・下香月・永犬丸・則松・塩屋・浅川・折尾・引野・市瀬・下上津役・小敷の各村および本城村の内で計13か村・7,303石余となっている(直方市史)元禄4年11月には新たに妙見山に館の造営が行われ,翌年12月に完成した福岡藩では正徳元年に綱政が死去,嫡子の宣政が跡を継いだが,宣政は生来病弱で正徳4年以降は帰国することができなかったこのため同年4月には長清の長男菊千代(継高)を養嗣子とし,長清は宣政にかわって長崎警備を勤めるとともに,福岡藩政を後見した長清は享保5年に没したが,長男の継高が宣政の養嗣子となっていたため嗣子がなく,直方藩は廃藩となって所領は福岡藩に還付された廃藩後は伊丹九郎左衛門と田代半七が直方惣〆に任命されて跡始末にあたり,享保14年までにすべての家臣が福岡へ引越した... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 直川郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 直島(近世) 江戸期~明治23年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 直違橋【すじかいばし】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 直違橋(近世~近代) 江戸期~現在の町名2~11丁目がある明治14~22年には伏見,昭和6年からは深草を冠称伏見町のうち2~3丁目は南組直違橋弥助組,4~11丁目は南組直違橋権助組に所属町の中央を直違橋通が通り,南から北へ2~11丁目が並ぶ豊公伏見城ノ図によると通りの両側に町家が並び,2~5丁目の町家裏は武家屋敷となっており,北条美濃守・成尾志摩守・渡辺五郎兵衛などの屋敷が並ぶこれらの屋敷は伏見廃城後取りこわされ,寛文10年の山城国伏見街衢並近郊図では通りの両側に民家が並んでいる2丁目は直違橋北2丁目とも見え,浄土宗誠心寺末運乗菴・真宗東本願寺末西岸寺があった(泰平俯見御役鑑・府地誌)3丁目には西体寺があり,「新市域各町誌」によると町内から東側の極楽町を通って飯食町に至る道の分岐点を通称「ワカレ」といった4丁目には藤ノ木町の通称があった安永7年改めの「町中之定書」には町汁参会の節に酒3升ずつを持ち寄ることや,その他家屋敷買得,婚礼振舞などの節の細かい規定が種々記されている(伊東賢二家文書)明治5年の伏見5番組戸籍では,人家34戸,うち家持29軒・借家5軒(同前)5丁目には蜜柑町の別称があり,地内の常安寺は昔時延暦寺に属し長厳寺と号したがのち荒廃し,慶長15年僧詮盈が中興,浄土宗黒谷光明寺の末寺となった(新市域各町誌)6丁目には浄土宗西山派真宗院末道澄寺があり,町内中央東側に十二帝陵へ通じる道がある道澄寺は大納言藤原道明および参議橘澄明が建立,延喜17年の銘をもつ洪鐘があったが,今は奈良県栄山寺に伝えられている(府地誌)9丁目には帯刀町の別称があり(新市域各町誌),天明5年伏見奉行小堀和泉守政方の暴政を直訴した伏見義民の1人焼塩屋権兵衛がいた(伏見町誌)10丁目には,貞享2年11月記の正月10日に行われる町汁の御膳定や宝暦9年正月10日記の家屋敷売買,養子縁組などの節の振舞規定や,借屋銭が250文であることなどの種々の町規約を示した町定が残されている(今邑家文書)また,文政10年8月改め年寄美濃屋藤兵衛,五人組万屋千太郎が記した町譲りが行われる時は銀壱両を年寄に,銀3文目を組に納めることなどを明示した町定ほかを書き記した町内式目帳(文政10~12年)がある(今邑家文書)あるいは明治3年3月改めの伏見5番組戸籍では,当時町内に33軒の人家があったことがわかり,同7年6月改めの伏水第壱区地価表では当時当町の坪数は1,887坪で,坪当たり地価平均5銭であったことが知られる(今邑家文書)11丁目には大工仲間上組の年寄五郎兵衛がおり(伏見鑑),慶長11年僧道無開基建立の浄土宗鎮西派浄華院末摂取院,善明院がある(府地誌)天保頃の軒数は2丁目34軒・3丁目33軒・4丁目41軒・5丁目40軒・6丁目34軒・7丁目34軒・8丁目36軒・9丁目42軒・10丁目37軒・11丁目38軒(伏見町誌)明治元年5番組,同5年伏見第1区,同7年第1区,同12年伏水第1組に所属同14年1月紀伊【きい】郡第5組,同年10月山村町外34か町連合,同17年直違橋3丁目外34か町連合のうちとなる同22年深草村直違橋2~11丁目,大正11年深草町直違橋2~11丁目,昭和6年伏見区深草直違橋2~11丁目となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 直接【ちょくせつ(1)】 directly, immediately(◆後者のほうが原因と結果が仲介物なしに結びついているという意味が強い);(個人的に)personally ━━直接の direct, immediate; personal *直接福岡に行く go direct(ly) [straight] to Fukuoka / 事故の直接の原因 the direct [immediate] cause of the accident / 不良債権の直接償却 a direct write‐off of bad debts *僕はその話を彼女から直接聞いた I heard the story directly from her. *彼らはその事件に直接関与していた They were directly involved in the incident. *私は磯さんと直接話がしたいのです I'd like to talk with Ms. Iso personally [in person, face‐to‐face] . *組合は社長と直接交渉をした The union negotiated with the president directly. *徳川さんが私の直接の上司です Mrs. Tokugawa is my immediate superior. ◆*警察は事件について被害者から直接情報を得た The police obtained firsthand information about the case from the victims. [複合語]直接教授法 the direct method / 直接金融 direct financing / 直接経費 a direct cost / 直接効果 (a) direct effect / 直接行動 (a) direct action / 直接照明 direct lighting / 直接税 a direct tax / 直接請求 a direct demand / 直接選挙 a direct election / 直接投資 (a) direct investment / 直接取引 direct business [transaction] / 直接販売 direct sales [selling] / 直接民主主義[制] direct democracy / 直接目的語 《文法》a direct object / 直接話法 《文法》direct speech... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」