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![]() | 槻下【つきのした】 「つきした」ともいい,古くは月ノ下とも書いた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槻木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻並村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻木【つきのき】 柴田郡の東南方,白石川が阿武隈(あぶくま)川に合流する北側に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槻本荘【つきもとのしょう】 (古代~中世)平安期~室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槻本荘【つきもとのしょう】 (古代~中世)平安期~室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 槻本荘(古代~中世) 平安期~室町期に見える荘園名高市郡のうち①槻本荘興福寺雑役免(進官免)荘園興福寺七堂灯油料所延久2年の雑役免帳に「槻本庄田畠七町 灯油免田也」とある荘田はすべて興福寺灯油免田からなる荘田は高市郡21条2里・22条2里・35条1・2里・37条2里にわたる合計25か坪に散在・分布したこの坪付は現在の橿原【かしはら】市小槻町・大垣町,高取町森・薩摩・羽内のうちにあたる鎌倉期の承久4年正月18日付北条義時下知状(春日大社文書1)によれば,興福寺衆徒らの訴えによって,鎌倉幕府が御家人国分次郎の当荘への乱行を止めているまた弘安年間には当荘預所重舜が,荘園の券文を入質,年貢・雑物を着服した罪で訴えられた(兼仲卿記弘安6年秋冬巻裏文書/鎌遺15045)下って室町期,文明14年の興福寺七堂灯油荘々注文(寺社雑事記文明14年10月4日条)には「越智郷 槻本庄 本油一石一斗七升〈去年六斗納之〉,雑公事九百文在之,寺侍給之」と見える②槻本荘一乗院門跡領至徳3年6月9日付一乗院良昭維摩会講師段米催状(岡本文書)に「槻本〈七丁一反卅六歩〉」とあり,門跡の段米を賦課された室町後期の越智郷段銭帳(春日大社文書4)には「槻本庄〈七町一反半,近年五町七段小〉」とある当時国民越智氏の勢力下にあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻本荘(古代~中世) 平安期~室町期に見える荘園名高市郡のうち①槻本荘興福寺雑役免(進官免)荘園興福寺七堂灯油料所延久2年の雑役免帳に「槻本庄田畠七町 灯油免田也」とある荘田はすべて興福寺灯油免田からなる荘田は高市郡21条2里・22条2里・35条1・2里・37条2里にわたる合計25か坪に散在・分布したこの坪付は現在の橿原【かしはら】市小槻町・大垣町,高取町森・薩摩・羽内のうちにあたる鎌倉期の承久4年正月18日付北条義時下知状(春日大社文書1)によれば,興福寺衆徒らの訴えによって,鎌倉幕府が御家人国分次郎の当荘への乱行を止めているまた弘安年間には当荘預所重舜が,荘園の券文を入質,年貢・雑物を着服した罪で訴えられた(兼仲卿記弘安6年秋冬巻裏文書/鎌遺15045)下って室町期,文明14年の興福寺七堂灯油荘々注文(寺社雑事記文明14年10月4日条)には「越智郷 槻本庄 本油一石一斗七升〈去年六斗納之〉,雑公事九百文在之,寺侍給之」と見える②槻本荘一乗院門跡領至徳3年6月9日付一乗院良昭維摩会講師段米催状(岡本文書)に「槻本〈七丁一反卅六歩〉」とあり,門跡の段米を賦課された室町後期の越智郷段銭帳(春日大社文書4)には「槻本庄〈七町一反半,近年五町七段小〉」とある当時国民越智氏の勢力下にあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻下村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 槻本神社【つきもとじんじゃ】 高松市藤塚町にある神社... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」