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![]() | 綱原村【つなはらむら】 (中世)平安期~南北朝期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 綱原村(中世) 平安期~南北朝期に見える村名下総国のうち香取社神領の1つ葛原村ともいう応保2年閏2月日付関白左大臣家政所下文に「当村四至内織幡・小野・綱原三箇村」とあり,香取社大禰宜大中臣実房の押妨を排し,当村が大宮司中臣助重に安堵されている(大宮司家文書/香取文書纂)当村は,同年6月3日付大中臣実房譲状などにいう「葛原牧内織幡村」の域内に含まれていたと考えられ(旧大禰宜家文書/県史料香取),大中臣氏と中臣氏の間で知行をめぐって相論が行われたが,おそらく,安元元年,助重が大宮司を罷免された後は,大中臣家領として嫡流惟房に相伝されたものと思われる鎌倉期にも,中臣助康が摂関家政所下文を得て「神領葛原・小野・織幡等村々」を領掌したため,惟房は摂関家(九条兼実)に訴え,建久5年5月,安堵され(香取文書/鎌遺726),嘉禄2年5月には「当社領大槻郷壱所内小野織幡綱原三箇村」が助康の弟助道の進退するところとなるなど(大宮司家文書/香取文書纂),両氏の抗争によって当村の帰属は不安定であった正安元年12月28日付多田有時所務和与状によれば,葛原村の地頭は千葉一族の多田有時で,大宮司・大禰宜の双方に神役などを勤仕したらしい南北朝期になると,当村に対する千葉一族の押妨が激化し,暦応4年9月26日,下総国守護千葉介貞胤が被官中村弥六入道聖阿に「小野・織幡・葛原牧所務」の違乱停止を命じているが,貞治年間には「小野・織幡・葛原十二ケ村」がほぼ押領される有様であった大中臣長房は,貞治7年3月,千葉長胤から当村ほかの安堵状を得たが,濫妨は止まらず,さらに大中臣家内部に千葉氏に与同するものがあって,応安5年には香取社中に軍勢が乱入する紛争となった応安7年,相論が終息すると,当村は大禰宜大中臣長房の手に帰し,至徳2年10月4日付長房譲状などによれば「おのおりわた両村ならひニつなはらの村」が嫡子満珠丸(幸房)に譲与されている(旧大禰宜文書/県史料香取)比定地は未詳であるが,現在の佐原市多田に小字綱原があり,その付近と考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 綱【つな】 【古代】紐(ひも)や縄(なわ)より太く、船などをつないでおく用具... |
出典:東京書籍「語源海」
![]() | 綱場町(近世~ 江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 綱神社【つなじんじゃ】 芳賀郡益子(ましこ)町上大羽にある神社... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 綱別荘(中世) 平安末期~南北朝期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 綱島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 綱ノ瀬川【つなのせがわ】 西臼杵(にしうすき)郡日之影町と東臼杵郡北方町との境界をなす1級河川... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 綱ノ瀬川【つなのせがわ】 西臼杵(にしうすき)郡日之影町と東臼杵郡北方町との境界をなす1級河川... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 綱浦【つなうら】 下県(しもあがた)郡豊玉町にある浦... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 綱子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」