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![]() | 添下郡 飛鳥期から見える郡名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添上郡 江戸期の当郡の村数と総石高は,「慶長郷帳」では5万5,631石余,「寛永郷帳」では105か村・5万9,349石余,「寛文郷帳」では108か村,「元禄郷帳」では130か村・6万86石余,「天保郷帳」では114か村・5万9,131石余,「旧高旧領」では146か町村・5万8,444石余... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添ふ・副ふ【そ・ふ】 そ・ふ【添ふ・副ふ】(ソウ) 《付加》 加わる... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 添下郡 江戸期の当郡の村数と総石高は,「慶長郷帳」では3万5,349石余,「寛永郷帳」では50か村・3万5,248石,「寛文郷帳」では50か村,「元禄郷帳」では65か村・3万9,176石余,「天保郷帳」では64か村・4万360石余,「旧高旧領」では71か町村・4万322石余... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添【そう】 (古代)大和期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 添(古代) 大和期から見える地名所布・層富とも書く大和高原北部および奈良盆地北端を含む広大な地域大和北部の総称語源については,「鉄錆のある地」またはソブはソバの転で「自然堤防」とする説などがある(古代地名語源辞典)①添県神武即位前紀己未年2月辛亥条に「層富県の波哆丘岬」に新城戸畔という者がいたとある波哆丘岬は添下郡赤膚山(唐招提寺の西),新城は添下郡新木村(現大和郡山市新木町)にそれぞれ比定される(書紀通証・書紀集解)添県はのちの添上・添下両郡をあわせた地域高市・葛木・十市・志貴・山辺の各県とともに,大和国のいわゆる六県の1つで,内廷の供御に充てる蔬菜を貢進していた(延喜式祈年祭・月次祭祝詞)「延喜式」神名上の添下郡10座のうちに「添御県坐神社」が見え,「大和志料」は現在の奈良市歌姫町,「大和志」や「大和名所図会」は同市三碓【みつがらす】町に比定する天平2年の大倭国正税帳(正倉院文書/寧遺上)によると,「添御県神戸」に稲152束8把,租20束の合計172束8把が充てられ,「新抄格勅符抄」にも大同元年に「添御県神二戸」とある貞観元年「添御県神」は従五位下から従五位上に昇叙されている(三代実録貞観元年正月27日条)なお「和邇部氏系図」(姓氏家系大辞典3)には「忍勝〈大倭添県大宅郷住,負大宅臣姓〉」,「大島臣〈大倭添県山辺郷住〉」,「宮手臣〈大倭添県井代邑住,井代臣祖〉」と見える「姓氏録」大和国神別には「添県主」として「津速魂命の男,武乳遺命自り出づ」と見え,「旧事紀」神代本紀・皇孫本紀にも同様の記述がある県主の姓はこの一族がかつて層富(添)県の県主であったことに由来する添県主の旧姓は単に県主であり,天平神護元年,大和国添下郡人左大舎人大初位下県主石前に添県主の姓を賜ったとある(続紀天平神護元年2月甲子条)②所布評藤原宮出土木簡に「□妻倭国所布評大□(野カ)里」とある(県教委藤原宮No.22)添(層富)県の領域に立てられた評大宝令施行後は添上・添下の2郡に分割された(続紀和銅元年9月乙酉条)すでに欽明紀には「倭国の添上郡の山村」(欽明紀元年2月条)と見えるが,実際の行政単位ではなく,「書紀」編者の潤色であろうなお平安期に添上郡の郡司・刀禰として活躍した評(郡)氏の氏名は所布評(郡)にちなむと考えられるすなわち評家定は添上郡擬主張であり(大同4年6月6日東大寺家地相換券文/平遺25),評浄常は添上郡春日里の刀禰(延喜11年4月11日東大寺上座慶賛愁状/平遺206),郡正満は添上郡惣行事である(永延2年4月19日大法師慶泉家地売券/平遺330)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添田町(近代) 明治44年~現在の田川郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添ノ川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 添谷銅山【そえだにどうざん】 玖珂(くが)郡美川町添谷字東谷に所在した江戸前期の銀銅山... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 添田町村(近世) 江戸期~明治20年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」