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「吐」の関連ワード⇒ ワンステップ ワンタッチ ワンダン 

吐【と】

{常}
【1】口から出す...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705234410]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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→無料版JLogos【吐(と)】

ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

『福武国語辞典』を元に編集した電子特別編集版。日々の仕事・生活の中で使われる言葉や意味、用法が重要な現代語を中心に約6万語を収録。文章を書く際に役立つよう用例を多く掲載するなど使いやすさを追求した国語辞典。

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吐山(古代~

 平安期から見える地名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

吐噶喇列島【とかられっとう】
鹿児島郡十島(としま)村に属する列島...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

吐気山古墳群【ほけやまこふんぐん】
古墳時代後期後半(6世紀後半)の円墳群...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

吐田荘【はんだのしょう】
(古代~中世)平安期~鎌倉期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

吐田荘(古代~中世)
平安期~鎌倉期に見える荘園名平群【へぐり】郡のうち①吐田荘興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「吐田庄田畑畠卅町七段二百廿歩」とある公田畠26町100歩と不輸租田4町7段120歩からなり,不輸租田の内訳は法興院田2町1段120歩・無主位田2町6段荘田は内平群東条1~4里・同中条1~4里・同西条1里にわたる合計75か坪および平群郡中郷8条13里の5か坪,同郡額田西11条6・7里の11か坪に散在・分布した荘田の中心は現在の平群町吉新・三里から同町椿井【つばい】にかけて,平群谷の竜田川東岸に沿っているまた一部は現在の安堵町窪田に所在した平安末期には上吐田・下吐田の両荘に分かれており,寿永2年3月日付興福寺政所下文(内閣文庫所蔵文書/平遺4081)に東大寺僧伊賀公実円の私領として「上土田庄〈平群郡〉十二町一段大」と見えている上吐田荘の一部は現在の平群町三里,下吐田荘の一部は同町吉新・平等寺に所在したらしい(狩野亨吉氏蒐集文書/同前2365)下って鎌倉期の正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)には「上土田庄米五石……餅二百枚」「下土田庄米六石二斗……餅二百三十八枚」と記され,興福寺維摩会の用途を負担した②土田荘東大寺領(東大寺花厳会料田)嘉承2年正月10日付東大寺三綱等解案(東大寺図書館所蔵文書/平遺1669)に「内平群郷(字土田庄)」とある当荘は平群郡福田荘とともに東大寺威儀師慶寿がその私領田の加地子を花厳会色衆饗料に寄進して成立したもので,慶寿の死後に後家が興福寺雑役免(進官免)となっている田地を除いた公田を選んで坪付を定めたという荘田は12町2段余で,内平群東条1~4里,同中条3・4里の合計33か坪に分布したこの坪付はほぼ雑役免吐田荘と重複し,中心は現在の平群町吉新・三里付近にあたる鎌倉期の建保2年5月日付東大寺領諸荘田数所当等注進状(東大寺続要録寺領章)には「華厳会色衆床饗免廿町 平群郡 福田庄 土田庄」とある...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

吐く【はく(1)】
①【吐き出す】(つば・血などを)spit(他)(自);(嘔吐(おうと)する)vomit(自)(他)
*路上につばを吐く spit on the road
*彼は食べた物を全部吐いた He vomited [《口語的》threw up] everything he had eaten.
*私は吐きそうだ I feel sick [nauseated].
②【煙・息などを】(煙を)give out, emit(他);(煙などを大量に)spew (out);(息を)breathe[br]out
*工場の煙突が煙を吐いていた The factory chimney wasgiving out [emitting] smoke.
*ゆっくり息を吐いて Breathe out slowly.
③【言葉・考えなどを】
*その容疑者は警官に悪口雑言を吐いた The suspect cursed at the policeman.
*彼は本音を吐いた(→本心を明かした) He revealed his real intentions....

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出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」

吐前村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

吐田郷【はんだのごう】
(中世)室町期~戦国期に見える郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

吐田郷(中世)
室町期~戦国期に見える郷名奈良のうち半田とも書く寺門郷応永16年11月4日付寿命丸屋敷預り状に寿命丸という者の屋敷の在所として「吐田ノ西ノツラ河ノ北ハタニアリ」とあり,西ノツラ(頬)という表記から当時,南北に延びる路に沿って街区ができていたことがうかがわれる(東大寺文書)文明12年5月日付奈良中南北七郷注文(寺社雑事記文明12年6月9日条)に「一北御門郷之主典武房……吐田」とある寺門郷として興福寺別当から七郷人夫役などを賦課された(経尋記大永2年4月4日条/大日料9-15)当郷は平安末期~鎌倉初期に南都に下向した絵師三河法橋有尊が創始した絵所座である吐田座の拠点として知られる有尊の子弟尭尊は一乗院門跡の吐田座,尭有は大乗院門跡の吐田座を相承したが,室町期には大乗院門跡吐田座の筑前法眼重有とその子息の松坊法橋長有・円勝房有尊・琳賢房正有らが活躍しているなお「多聞院日記」永禄9年10月3日条には「多聞山ヨリ吐田郷焼払了」とあり,松永久秀のために戦火を被っている近世には北半田西町・北半田東町・南半田西町・南半田中町・南半田東町などに分かれた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

吐野々村【はきののむら】
(近世)江戸期~明治6年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

吐野々村(近世)
江戸期~明治6年の村名日向国臼杵【うすき】郡のうち吐之野村・吐野村とも書いた九州山地中央部の山間地,小丸川上流の山腹に位置する地名の由来は,西方の山地から流れ出た小丸川の本・支流が合流する地形にちなむと考えられる椎葉山【しいばさん】84か村の1つ元和5年から幕府領(はじめ肥後国阿蘇神社の監督下に預けられたが,明暦2年からは肥後国人吉藩の預り支配地となる)人吉藩の椎葉山支配組織四組のうち大河内組に属した元禄11年「日向国覚書」には,村名は見えるが村高の記載はない村高は,寛延元年には8升余(日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書/明治大学蔵内藤家文書),「天保郷帳」では9升余,慶応3年にも9升余(同前)「日向国臼杵郡椎葉山村々様子大概書」(明治大学蔵内藤家文書)によれば,寛延元年の村況は,反別は畑1反余,家数2,人数は男7・女7同じく慶応3年の村況は,反別は畑1反余,家数2,人数は男13・女8明治元年日田県に属し,同4年人吉藩,人吉県,美々津県を経て,同6年宮崎県に所属明治6年大河内村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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