- JLogos検索辞書>
- 堂とは
- amazon商品リンク
![]() | 堂の前遺跡【どうのまえいせき】 飽海(あくみ)郡八幡(やわた)町大字法連寺に所在 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 堂浦村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂本村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂之前町【どうのまえちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 堂島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂之前町(近世~近代) 江戸期~現在の町名六角通烏丸東入の町当町の成立は早く,「元亀米賄帳」に「六角如来堂町」と見え,その時には下京牛寅組に属している寛永14年洛中絵図には「六角堂前町」とあり,中井家系のものにはこの名称が継承されているが,江戸初期の町鑑類では「六角堂門前町」とも記され,また,単に門前町と記されることもあった現町名が見えるのは寛保初期の京大絵図ごろからであり現町名に固定するのはこのころからであろう町名の由来は文字通り,当町北側に六角堂が存したことによる「京雀跡追」や「京町鑑」には,毎年,六角堂へ諸国より巡礼が多く集まったこと,また,その中でも17・18日は「法会市賑し」と表現されている17日には池坊による立花会も行われ,見物人がおびただしかったといい,西国巡礼18番札所であった六角堂を中心に町が繁華を極めていた様子をうかがわせているまた「京雀跡追」には旅人に一夜の宿をかす町ともいわれており,六角堂の門前宿も当町に発展していたことがわかる「京羽二重」には,竹生島宿の表具屋弥左衛門,巡礼宿の餅屋惣左衛門,伏見屋太右衛門などの旅宿が見られるが,時代を経るとともにさらに発展を遂げたらしく,「都すゞめ案内者」では西隣の骨屋町の分と合わせて21軒もの宿屋の名前があげられている当町には六角堂の執行として池坊が中世以来居住しており,江戸期には華道の流派を大成していったまた,天正頃には斯波義将邸の跡地を長谷川氏が買い求め移り住んだという(雍州府志)この長谷川氏は江戸幕府にも仕え,慶長年間には一族が長崎奉行にも任じられ,江戸長谷川町に邸地を受けたという子孫は代々佐兵衛を称して,六角堂前の宅地は諸役を免ぜられたしかし,不埒の次第があり明治2年にその宅地は京都府に没収された(坊目誌)江戸期は南艮組の門前組に属し,18軒の軒役を負担明治2年の町組改正から下京【しもぎよう】4番組,同5年第4区と改称,同25年第4学区に編成明治12年下京区堂之前町,同22年京都市下京区堂之前町,昭和4年中京【なかぎよう】区堂之前町となり現在に至る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂山城跡【どうやまじょうせき】 綾歌郡国分寺町福家・高松市西山崎町にまたがる堂山の山頂部にある福家氏の要城跡... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 堂島新地【どうじましんち】 (近世)江戸期~明治4年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 堂島新地(近世) 江戸期~明治4年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうち1~5丁目がある元禄元年町割り,はじめ北組・天満組支配新地への屋敷割方針は「屋敷広狭ニ不依一屋敷一軒役」「表口裏行之間数ハ六尺杖」「坪詰反畝歩者六尺杖」で,地子銀は1石に付60匁,斗代は上屋敷が1反に付3石,中屋敷は同2石,下屋敷は同1石3斗の計算とされた(藤井善八覚書/大阪市史5)1丁目は上・中屋敷入組,2~5丁目は上屋敷とされた1丁目は大江橋北詰浜側と難波小橋東詰の町で(宝暦町鑑),元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば家数16軒,役数16,うち無役数1(年寄)2丁目は大江橋から2筋西浜側の町で,同帳による家数15軒,役数15,うち無役数1(年寄)3丁目は渡辺橋北詰浜側と東の浜の町で,同帳による家数15軒,役数154丁目は渡辺橋1筋東からの町で,同帳による家数15軒,役数15,うち無役数1(年寄)5丁目は田簑橋北詰から汐津橋までの町で,同帳による家数14軒,役数14,うち無役数1(年寄)1丁目には米市場があった元禄10年淀屋橋畔淀屋前から移転正徳~享保年間頃に米座御為替御用会所が設置されたそして帳合米商いの方法を導入,帳合米に関する出納を扱う遣来両替が活躍,米市場は一層の繁盛をむかえたこの堂島米市場には3場所があり,東を正米商内,中を帳合米商内,西は虎市商内と呼んだ廻米を行う諸藩蔵屋敷が並ぶ元禄16年には4~5丁目にかけて肥前加島藩鍋島氏・肥前大村藩大村氏・肥前唐津藩土井氏・備中松山藩安藤氏・備後福山藩松平氏・肥後人吉藩相良氏・豊後臼杵藩稲葉氏,天保14年には武蔵忍藩松平氏・肥後新田藩細川氏・相模小田原藩大久保氏・備中足守藩木下氏・伊勢桑名藩松平氏・尾張徳川氏・出羽秋田藩佐竹氏・日向延岡藩有馬氏・豊前中津藩奥平氏・越中富山藩前田氏・肥後人吉藩相良氏・豊後臼杵藩稲葉氏の蔵屋敷があった(大阪市史附図)明治2年大阪北大組に所属同4年堂島浜と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂野前村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堂奥村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」