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東西【とうざい】


【1】東と西...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705237560]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

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東西九条女御田【とうざいくじょうにょうごでん】

(中世)鎌倉期~戦国期に見える荘園名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

東西九条女御田(中世)
鎌倉期~戦国期に見える荘園名山城国紀伊【きい】郡のうち女御田をはぶいて単に東西九条と称したり,女御田と表記する場合もある紀伊郡の九条以南,現在の南区上鳥羽・東九条・西九条・唐橋地域に散在していた嘉元元年当時の状況をあらわしている永和4年6月13日付の東西九条女御田坪付注進状写によれば,21町5反30歩(年貢259石7斗2升6合)の田地が西鳥羽分・東鳥羽分(東武田分)・九条分(東・西九条分)に分類され,上津鳥里・川副里・跡田里・真幡木里・飛鳥里・幡鉾里・佐井佐里・須久田里・穴田里・角神田里・社里および八条西坊城・狐塚に散在していた(教王護国寺文書1-409)建長4年2月20日付関東御教書(案)によって鎌倉幕府から東西九条女御田が本覚院門跡に寄せられ,以後本覚院門跡領となる(東寺百合文書ミ)その後,本覚院門跡執事日野僧正光恵の罪科によって,一時期室町幕府御料所として幕府政所の管領するところとなるが,康安元年9月に足利義詮が当年分の年貢を東寺に修造料として寄付し,翌貞治元年12月に東寺の当年分後七日修法料足のうち武家役100貫文を女御田から募ったことなどから東寺との関係が生じ,応安元年5月に足利義満は東西九条を東寺修造料に寄進し,永和3年11月21日には東西九条の地頭職を永代寄進した(東寺百合文書ミ)しかし,その後応永3年12月9日に義満が東西九条の領有を青蓮院門跡十楽院尊道法親王に認めたことにより,以来40年あまり青蓮院門跡領となる(同前ミ)嘉吉元年10月,領有権をめぐって東寺は訴訟を起こし,同年12月26日将軍足利義教によって東寺に還付されたが(同前て),その後もたびたび領有をめぐって争いが続いた以上のような領主の交代が続くなかで,散在田の支配は東西九条女御田下司が請負っていたと思われる文和4年には小枝道忍,永和4年には子息三郎政茂が下司になっていた(教王護国寺文書1-409)彼等は大炊寮領西九条御稲の供御人あるいは下司,沙汰人としても史料に姿を見せる在地の土豪であった(師守記,貞治元年11月2日・同6年7月22日・同年8月17日条)また,延文2年には下司として山城前司宇治政安が,応永5年には左近将監宇治秀安の名が見えるが(東寺百合文書ミ),政安は拝師荘下司・東寺領八条院町所務職にもなっており,小枝氏と同様の在地の有力土豪であった貞治5年の納本帳写(同前ま)では九条分・鳥羽分・深草分・船津分・西山分・屋敷分・竹田分に分かれて年貢が収納され,明応年間には「女御田三ケ庄」の呼称が用いられ,九条方・鳥羽方・竹田方に分けられていたことがわかる(同前わ)領有権をめぐる紛争が繰返されながらも,東寺の支配はともかく中世末まで維持され,天正13年には羽柴秀吉により寺領として安堵されているが(東寺文書御宸翰),中世所領としての生命はこの時期で消滅する...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

東西条【とうざいじょう】
(中世)南北朝期~戦国期に見える広域地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

東西条(中世)
南北朝期~戦国期に見える広域地名安芸国賀茂郡のうち国衙領の系譜を引く鎌倉・南北朝期の西条郷・東条郷を連称したもの周防大内氏の拠点延元2年7月12日の後醍醐天皇綸旨に「安芸国東西条」と見える(毛利家文書)一方,至徳元年11月21日の将軍家御教書では,義満が東西条の内でないことを確認したうえで安芸国三津村地頭職を小早川仲義に安堵している(小早川家文書)このことは大内氏がすでに東西条を得ていたことをうかがわせる大内氏の東西条領有の経緯については明らかでないが,「臥雲日軒録」文明元年6月8日条に足利義満が大内義弘の和歌を賞して与えたとの逸話を伝えている応永元年10月13日の大内義弘預ケ状案では,義弘が福成寺別当職を興隆寺別当に預けており,福成寺は東条郷三永村にあったから,この時点での大内氏の東西条領有が推測される(興隆寺文書)同32年閏6月20日の大内徳雄預ケ状写では竹原小早川弘景に「東西条内海村」を預け置くとあり,東西条は西条盆地にとどまらず沿岸部に及んでいた(小早川家文書)一時期小早川氏に一部の領有が認められたこともあったが,ほぼ一貫して大内氏の支配下にあり,長禄4年には「安芸東西条御代官」が見える(大内氏掟書)寛正2年に至って幕府は東西条を武田氏に渡すように大内氏に命じ,鏡山城が大内氏の手を離れるが,まもなく応仁の乱が始まり,大内氏は実力で奪回する大永3年には尼子氏が南下して鏡山城を奪い,平賀氏なども尼子方に付くが,天文年間には改めて槌山城を拠点とした大内氏の支配が回復する大永3年8月10日の安芸東西条所々知行注文によってその頃の東西条の構成がわかる(平賀家文書)現東広島市にあたる寺町村・御薗宇・東之村・寺家村・三方・原之村・飯田村・したみ村・上戸村・田口村・三永村・三永方,黒瀬町の黒瀬・黒瀬乃美尾,福富町の久芳,河内町の戸野郷・郡戸村・河内村,安浦町内海,川尻,安芸津町三浦,呉市の広浦・仁賀田,安芸区阿土村および大内氏公領の重安名であるこれらはいずれも大内氏支配の拡大に伴い,その支配領域が東西条とされた天文15年には熊野(現熊野町)にも及び,西条のうちとされる東西条の名は大内氏の滅亡とともに次第に使われなくなり,かわって西条によって東西条を指すような使用法も見られ始めるもっとも,天正18年でもまだ東西条が使用されており(石井文書),慶長年間に至って消滅するようである...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

東西【とう-ざい】
<一>
[1]東と西...

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出典:東京書籍「全訳古語辞典」

東西【とうざい】
east and west;(東洋と西洋)the East and the West
[参照]⇒とうざいなんぼく∥その道は東西に延びている The street runs 「east and west [from east to west]. / 東西両陣営の緊張がにわかに高まった Suddenly the tensions between the Eastern and Western camps increased.
[複合語]東西問題 an East‐West problem
[慣用表現]
*東西を失う(→方角が分からなくなる) lose one's way [direction];(→途方に暮れる)be at a loss as to what to do / 洋の東西を問わず(→世界中で) all over the world / 彼はまだ若いので東西をわきまえない(→ものの道理が分からない) He is still young, so he doesn't know what's what. / 古今東西
[参照]⇒ここん...

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出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」

東西原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

東西俵屋町【とうざいたわらやちょう】
(近世~近代)江戸期~現在の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

東西俵屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名浄福寺通一条下ルの町聚楽第造営の時,周辺の武家屋敷の1つとして有馬・細川両氏邸があった(府地誌)文禄4年の聚楽第破却後,町並みが形成されるのは比較的遅く,寛永14年洛中絵図では空地となっている承応2年新改洛陽並洛外之図で「俵や丁」と町名が記されている以後,宝暦年間までに東側・西側の2か町に分かれ(宝暦町鑑),東側を東俵屋町,西側を西俵屋町とも称した(文政三年軒役)その後,合併して現町名を称するようになったと思われる(天保2年京町絵図細見大成)江戸期は,東俵屋町・西俵屋町とも上西陣組の新シ町である新柳馬場八町組,明治2年の町組改正から東西俵屋町として上京【かみぎよう】10番組,同5年第15区と改称,同25年第11学区に編成明治12年上京区東西俵屋町,同22年京都市上京区東西俵屋町となり現在に至る...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

東西線【とうざいせん】
帝都高速度交通営団が経営する中野区中野駅から千葉県船橋市西船橋駅までの31.7kmの地下鉄線...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

東西原【ひがしにしはら】
赤祖父(あかそふ)川の谷間南岸に位置する...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

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