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仁【に】


(字義解説)↓じん...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705266200]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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→無料版JLogos【仁(に)】

ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

『福武国語辞典』を元に編集した電子特別編集版。日々の仕事・生活の中で使われる言葉や意味、用法が重要な現代語を中心に約6万語を収録。文章を書く際に役立つよう用例を多く掲載するなど使いやすさを追求した国語辞典。

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仁淀川【によどがわ】

仁淀川水系の本流

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

仁保荘(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

仁位郡【にいぐん】
(中世~近世)鎌倉期~江戸初期に見える郡名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

仁位郡(中世~近世)
鎌倉期~江戸初期に見える郡名対馬国のうち対馬八郡の1つ爾伊・二位・二などとも書く正中2年5月13日の宗宗慶(経茂)のものと推定される充行状写に「対馬島爾伊郡内わいた」と見えるのが初見(仁位郷御判物写/県史史料編1)このほか鎌倉期,宗慶の発給文書と思われるもので「爾伊郡」の地名が見えるものは2通ある(同前)南北朝期に入ると建武元年10月27日の宗慶宮司職安堵状案(長岡文書/南北朝遺150),暦応2年8月23日の宗慶宮司職充行状案(同前/南北朝遺1387)・康永元年7月12日の宗資家充行状(同前/南北朝遺1810)・康永2年正月23日の宗宗慶充行状(水上文書/南北朝遺1890)などに「にいのこをり」が見え,鎌倉末期~南北朝中期まで宗宗慶の発給文書が多く見られる宗慶は対馬の守護・地頭の少弐氏の地頭代で対馬の実質的島主であった南北朝の内乱期は九州本土に転戦し,留守がちで,仁位中村を本拠にする弟の宗宗香が代官として島内に勢力を張っていた応安7年頃には宗香の子息澄茂が島主の地位につくが,応永5年,宗慶の孫の貞茂が仁位中村宗氏の島主頼茂から島主の地位を奪い返し,再び宗慶の系統が島主となるこれに対して,応永8年,仁位中村宗氏の澄茂・賀茂の兄弟は反乱を起こし,まもなく鎮定されるが,その勢力は仁位郡を中心に温存された室町期の初頭,おそらく島主貞茂の下で,国衙の単位所領の系譜を引く郡体制が再編され,対馬八郡体制が確立し始める仁位郡は仁位中村宗氏が郡主となる最初の郡主と思われる宗満茂は応永30年2月9日に「対馬国二郡内藁焼藻斗御公事」を給分として唐所右近将監に充行っている(仁位郷御判物写/県史史料編1)以後,満茂の子・孫の盛家・職家が郡主となり,郡内を管領した仁位郡の支配は他郡と比べると特異で,他郡では島主が各郡内の住人に直接宛てた文書が多く残るのに対して,当郡ではその比率はきわめて低く,島主は仁位郡にほとんどその勢力を及ぼすことができなかったとみられている(対馬島宗氏領国支配の発展と朝鮮関係諸権益/朝鮮学報39-40)この仁位郡主の独立性は,朝鮮貿易の面でも見られ,独自に朝鮮へ使いを送り,「世宗荘憲大王実録」世宗26年(文安元年)11月丙子朔条によれば,宗盛家は4隻の派遣を許され,受図書人となった(李朝実録之部2/日本史料集成)これは癸亥約条成立の翌年であるそして,「海東諸国紀」には,「尼老郡」と見え,郡主盛家は島主貞盛の「再従弟」と記され,歳遣船を3隻加え,計7隻の派遣を許可され,李朝政府から米・豆あわせて20石を支給される待遇を受けているまた,同郡には「護軍 多羅而羅(太郎二郎)」(盛家の弟盛吉カ)が受図書人として居住しており,米・豆あわせて10石を李朝政府から支給されている「李朝実録」によれば,盛家は「仁位郡宗信濃守盛家」と見え,成宗4年(文明5年)10月まで,連年,李朝に遣使し,土宜を献上している(日本史料集成)同記によれば,その後は,「仁位郡宗四郎職家」が盛家に代って通交する記事が見えるが,島主成職・貞国らの下で次第に貿易統制,国内の支配強化が進められ,図書(李朝政府発行の通交許可印)の申請も自請から島主申請のかたちへと移行し,職家も,島主申請のわくの中に入れられていくのである16世紀に入ると,仁位中村系の郡主の支配は後退し,島主が次第に仁位郡へ勢力を広げ,島主宗盛長の発給文書が見え始め,やがて完全に島主の支配下に入るなお,現在,厳原【いずはら】町の県立対馬歴史民俗資料館の所蔵になっている梵鐘は,応仁3年に島主宗貞国,仁位郡主宗盛家が鋳造させたもので,銘に「大日本国対馬州仁位郡渓岳山清玄禅寺」とあって,本来仁位の天台宗清玄寺の鐘であったことがわかる同寺には,高麗時代の誕生仏もあるまた,仁位の天台宗東泉寺で行われた最近の史料調査では,77冊にのぼる元版新訳華厳経が発見され,対馬の勢力が室町期に朝鮮を通じて入手した可能性が指摘されているこれらの版経は本来仁位の臨済宗妙幢寺(廃寺)の什物であり,さらにさかのぼれば小綱の観音寺にあったことが,華厳経の奥書などからわかる(仏教史学28-2)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

仁王・二王【におう】
【古代】仏教の守護神...

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出典:東京書籍「語源海」

仁和寺【にんなじ】
京都市右京区御室大内にある寺...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

仁井令(中世)
 鎌倉期から見える地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

仁尾村(中世)
 鎌倉期~室町期に見える村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

仁位郷【にいごう】
(近世)江戸期~明治5年の郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

仁位郷(近世)
江戸期~明治5年の郷名対馬国下県【しもあがた】郡のうち対馬藩領元禄12年,中世の対馬国に特有な変則的郡名(八郡)を古制の郷に復したもので,中世の仁位郡の郡域をそのまま郷域とする元禄12年8月3日「八郡を二郡八郷に改む」(郡方日記/宗家文書)とある対馬八郷の1つ元禄12年郷村帳(県史藩政編)によれば,所属の村は仁位村・田村・銘村・小綱村・大綱村・志多浦村・卯麦村・佐保村・貝口村・唐洲村・廻村・佐志賀村・嵯峨村・貝鮒村・糸瀬村・曽村・千尋藻村・鎗川村の18か村「津島紀事」では本村18・枝村4の合計22か村,その村名は前記の18か村のうち千尋藻村を除いた17か村に大千尋藻村・小千尋藻村・和板村・荷船村の4か村を加えた村で(合計21か村にしかならない),また「北至于上県郡界,東至于海岸,東南至于与良郷界,西南至于海岸」とある「新検上畠廻し」(寛文検地)による新間高は,御公領14間余・侍間114間余・給人間39間余・郡地77間余・寺領16間余・社領1間余の合計268間余(県史藩政編)正保2年には郷内21か村で,物成は籾93石余・麦1,305石余の合計1,398石余,このうち籾の水損所3石余,麦の旱損所60石余であった(対馬二郡物成/宗家文書)元禄12年郷村帳(県史藩政編)によれば,田・畑・木庭高の合計3,938石余,物成984石余,枝村として仁位村に和板,貝口村に多田があり,在家として大千尋藻・小千尋藻をあげ,糠村退転の跡地地面は大綱村の高に入ったといい,戸数494・人数2,278,神社19・寺26,給人35・公役人206・肝煎23・猟師110,牛276・馬110,舟95元禄年間の給人・足軽数は給人36・足軽24(猪鹿追諸覚書/県史藩政編)宝永年間頃の20歳以上60歳以下の人数568,うち給人39・足軽23・猟師110・新猟師151,辺境防備や猪狩のために配分される鉄砲の予定数323(鉄砲格式僉議/同前)元文5年の公役銀高6貫969匁8分(八郷公役銀高之内十ケ年之間四分一上納被差延候始終之記録/同前)同年の孝行芋(薩摩芋)生産高3,626俵(県史藩政編)明和5年公儀役人廻村答書によれば,年貢750石余,戸数370・人数2,208,煎海鼠527斤を取るとある(宗家文書)嘉永3年の給人数は旧家(義智以前の判物をもつ者)27・中家(貞享4年御判物を先規の如くもらった者)8・新家(貞享5年以降の家柄)47・馬廻格13・のし目御免6・平給人62(県史藩政編)文久元年の惣出来高御年貢并知行公役銀人数家数孝々芋出来高牛馬数調帳によれば,籾麦5,900石余(うち種用536石余・肝入領9石余),物成1,338石余(うち上納904石余・神祭用12石余),給人足軽領は家中知行88石余・給人足軽264石余・寺社領68石余,公役銀10貫850匁,家数517(うち寺27),人高(人数)2,865(男1,249・女1,204・10歳以下412),孝行芋2万9,302俵,牛数485・馬数268(同前)和泉国佐野の鰯網方が郷内に権利を有していた浦は16か所あったが,後に村網の操業が多くなっていった捕鯨や長縄船・建網船・敷網の操業は和泉・安芸・長門などからの他国船による期間操業であった明治4年厳原【いずはら】県,伊万里県,同5年佐賀県を経て,長崎県に所属同年区名施行に伴い郷名は廃止された郷域は,現在の豊玉町のほぼ全域にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

仁井田村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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