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![]() | 錦部郷【にしごりのごう】 (古代~中世)平安期~鎌倉中期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 錦部郷(古代~中世) 平安期~鎌倉中期に見える郷名「和名抄」山城国愛宕【おたぎ】郡十二郷の1つ高山寺本の訓は「尒之古利」,刊本では「尒之古利」地名の由来について,「日本地理志料」は「按錦部修錦織部也与服織部修作服部同岐袁切古,故呼爾之古利」と記し,本来は「にしきおり」と見ている寛平8年4月13日,太政官符に,錦部郷百姓らが愁状を捧げ,「鴨河堤辺東西水陸田廿二町百九十五歩」の耕作を許されたいことを願って,堤防をそこなわぬことを条件にこれを認められたことが見えるが,これらの水陸田はほぼ三条大路以北に存在したものであることが記されているので,郷域推定の1つの手がかりとなる(類聚三代格)次いで長保4年2月19日の山城国珍皇寺坪付案には,同寺領のうち1町歩が「錦部郷六条古川里十九坪」にあったことを記す(東寺百合文書ト/平遺421)愛宕郡条里の6条はほぼ二条通を中心とするから,古川里は岡崎の近辺であったと見てよく,このあたりが郷の南限であったかと思われるその後寛仁2年11月25日の太政官符により,愛宕郡内の8郷が上賀茂・下鴨両社に寄進されたが,当郷はこの時賀茂・小野・大野の各郷とともに上賀茂社領となった(類聚符宣抄)この官符は,寄進郷名を列挙する一方全体の四至を「東限延暦寺四至,南限皇城北大路同末,西限大宮東大路同末,北限郡堺」と限定しており,もし当郷の全域がこの四至内に含まれていたとすれば,先述の岡崎近辺以北とする推定と矛盾するが,これは四至外の部分は寄進対象からはずされたと見ることにより解消する下って「中右記」天仁元年10月3日の条にも,「愛宕郡錦部郷吉田村」とあり,吉田村が郷域内にあったことが知られるから,やはり上記のようにとらえるべきであろう寛仁年中に上賀茂社領となった錦部郷を含む4郷は,中世に入ると境内六郷すなわち岡本・中村・小山・大宮・河上・小野の6か郷となり,小野郷を除きかつての郷名は消滅してしまうが,そのため往時の社領錦部郷の郷域もさだかでなくなる「賀茂注進雑記」は岡本郷が錦部郷にあたるととらえているが,「清行文書」には「錦部郷ヲ改メテ中村郷トシ」たとする見解があり,また「地名辞書」は「此郷は上京区一条以北の地なるべし,即後の西陣にあたるごとし」という小野以外の5か郷に関する室町後期宝徳3年の地からみ帳の地図上復元の結果や,若干の関連史料,ならびに現北区上賀茂向縄手【かみがもむかいなわて】町あたり(かつての岡本郷内)に「にしごり(西郡)」の字名が近世まで遺存していた事実などに照らして考えると,これは岡本・中村両郷すなわち上賀茂神社のすぐ南のあたりから下鴨神社の北辺までを含むものであったとするのが妥当で,寛仁の寄進以前はこれがさらに南の吉田・岡崎あたりの一部郷域と連続,一体化していたものと見られる郷名は,文永3年正月日の主水司氷室田畠注進状に,長坂氷室の料田の一部が「錦部郷布世里」の3・35両坪にあったことを記すのを最後として見られなくなる(広島大学所蔵氷室文書/鎌遺9493)布世里の位置は明らかにならない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 錦川【にしきがわ】 都濃(つの)郡鹿野(かの)町北部に発し,徳山市・玖珂(くが)郡錦町・同郡美川町・岩国市と山地に深い峡谷を刻んでW形の流路をなしながら,全体としては東流して瀬戸内海に注ぐ... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 錦帯橋【きんたいきょう】 山口県南東部,岩国市の錦(にしき)川に架けられた橋... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 錦織圭【ニシコリケイ】 島根県松江市出身の男子プロテニス選手... |
出典:朝日新聞社「知恵蔵2009」
![]() | 錦織郷(中世) 南北朝期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 錦見村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 錦部郡 当郡の荘園としては,治田野荘・高田荘・甲斐荘・伏見荘のほか,宇礼志荘・長野荘・高向【たこう】荘・観心寺荘などがあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 錦見(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 錦原【にしきばる】 かつて吉井原(よしいばる)と呼ばれた... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 錦部郡 正保郷帳の写と考えられる承応2年3月の河内国一国村高控帳(浅尾家文書)によると,当郡の石高は1万5,541石余... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」