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![]() | 波上宮【なみのうえぐう】 那覇(なは)市若狭1丁目にある神社 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 波【なみ(1)】 ①【水面の】wave[C];(さざ波)ripple[C];(打ち寄せる波)surf[U];(岩などに砕ける波)breaker[C] *山のような波 a mountainous wave / 砕ける波 a breaking wave / 押し寄せる波 a surging wave *きょうは波が高い[荒い] The waves are high [rough] today.≒The sea is high [rough] today. *波は静まりそうになかった The waves seemed as if they would never calm down.≒The sea seemed as if it would never calm down. *波が海岸に打ち寄せていた The waves were 「beating against [washing] the shore. *船は波に乗って進んだ The boat rode the waves. *子供が波にさらわれた A child was washed away by the waves. *ボートが波に揺れている[漂っている] A boat is rocking [drifting] on the waves. ◆*波ひとつない海 a placid [serene] sea ②【波に似たもの】wave[C] *不況の波 a wave of depression / 景気の波に乗る ride (on) the waves of prosperity ◆*私は人の波を押し分けて進まなければならなかった I had to force my way through the crowd. / この村にも時代の波が押し寄せてきている The trend of the times has reached even this village. / 彼は成績に波がある His grades are fluctuating. / あの選手は好不調の波が激しい He is a streaky [hit‐or‐miss] player.(◆streakyは「調子にむらのある」の意味) [複合語]波音 the sound of waves / 波頭 the crest of a wave / 波路 a sea route / 波しぶき sea spray / 波線 a wavy line ((波乗り surfing[見出しあり])) [短歌] *大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも(源実朝) On the rocky shore, with a deep, pounding rumble, the waves crash and crunch, split and splatter, boil and break, and scatter across the strand.... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
![]() | 波佐見村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波多荘(古代~ 平安期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波多(古代) 飛鳥期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波照間村(近世) 王府時代~明治41年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波野郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波多荘【はたのしょう】 (中世)鎌倉期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 波多荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名添上郡のうち椿尾波多荘ともいう大乗院門跡領(菩提山正願院仏事料所)田積は5町1段40歩,ほかに畠3町(貞和3年2月日付興福寺段銭段米帳/春日神社文書2,三箇院家抄2・3)南北朝期の貞治6年納帳(三箇院家抄2)によれば,年貢7石1斗,「六反所当」(佃米か)6石3斗,山手米8斗,畠地子の大豆1石5斗・麦1石5斗が収取された年貢所当のうち5石4斗6合は菩提山正暦寺子院正願院の仏事用途に充てられたその内訳は毎月七ケ日不動護摩用途3石6斗・2月1日法性寺殿下御忌日・4月9日内山大僧正(尋範)御房御忌日・10月10日中御門殿(信円母)御忌日の持経者布施料各2斗,4月最勝王経僧前料8斗などであり,このほかにも6月1日夏中旬生身供頭人・5月正願院御塔恒例大般若世俗などの公事が勤仕されたまた室町期には当荘から同院に毎年米1石2斗が下行されていた(三箇院家抄2・3,興福寺文書寛喜2年4月28日付正願院仏事用途注進状/鎌遺3983,院家雑々跡文暦応2年5月条/大日料6‐5)次に大乗院門跡では所当年貢から3石および夫賃を収取,これを上北面明教房実盛勾当に恩給した(三箇院家抄1・2)公事としては毎年京上人夫3人・奈良巡人夫・維摩会威儀供などが勤仕され,さらに貞治6年納帳によれば百姓役として,木目4斗5升・薀90把・梅4斗5升・干蕨9連・麻苧63両・茄子270・栗9斗8升・桑代銭700文・小豆1斗8升・柚柑800・胡麻9升・野老9升・柿渋9升・月木18荷,下司役として瓜1荷・薪30束・炭1荷8籠が納入されている(同前,大乗院寺社雑事記文明12年10月2日条)また「寺役先途等大儀之時」など,恒例の門跡段銭1貫700文(三箇院家抄1,大乗院寺社雑事記応仁2年11月3日・文明3年慈恩会記・文明15年12月3日条など),藤氏長者下向・院家修理など臨時の用途米・段銭などを随時賦課された(大乗院寺社雑事記文明2年4月1日・長享3年5月6日条など)下司は椿尾氏(三箇院家抄1)同氏は早く至徳元年の長川流鏑馬日記に,春日若宮祭に流鏑馬頭役を勤める願主人として見え(大和志料上),大乗院門跡坊人として当荘のほか高田荘下司職を恩給された(大乗院文書/大和志料上)応仁・文明の乱以降は,衆徒古市氏の麾下にあり(寺社雑事記文明10年3月12日・15年12月9日条など),このため当地はしばしば越智・古市氏と対立する衆徒筒井氏の攻めるところとなった(同前文明11年10月4日・同年12月28日・12年10月2日条)明応8年筒井・越智両氏が講和して古市氏が孤立すると,椿尾氏は筒井方に転じたらしい堺公方足利義維政権の管領細川晴元の下で,三好元長と山城守護代職を争って敗れた柳本賢治が,享禄2年古市氏と結んで大和に侵入した際当地もその軍に攻落されている(祐維記享禄2年4月27日条/続南行雑録)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 波木井郷(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」