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![]() | 猫村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 猫ふんじゃった【ねこふんじゃった】 ピアノを前にすると、とりあえず『猫ふんじゃった』を弾いてみるという人は多い... |
出典:東京書籍「雑学大全2」
![]() | 猫尾城【ねこおじょう】 中世の山城... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 猫屋町【ねこやちょう】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 猫山遺跡【ねこやまいせき】 弥生時代初頭の墓跡... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 猫屋町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は広島城下広瀬組に属す広島城の南西,本川(太田川)と小屋川(天満川)の間西国街道の通る堺町筋の北に並行する横筋の町で,西部は可部街道が南北に貫く地名の由来は,広島開府の時,もと府中松崎八幡宮棚守の猫屋九郎左衛門が当地に店を構えたことによる(知新集)元和5年の城下絵図では町間数2町寛永2年の家数改では本家67・借屋30「知新集」によれば,堺本町と中島本町の間に架かる本川橋(猫屋橋)は猫屋九郎左衛門が自力で架橋したものというまた石橋1・町門1,町間数3町4間余,家数75・竈数92(本竈25・借竈67)・人数285うち本道医・大工各2,桶屋・畳刺各1金屋は町割の行われた天正年間当地に移り,代々酒造を業とした(同前)真宗明教寺・教伝寺・教西寺(昭和20年の被爆後中区南観音へ移転)がある明治11年広島区,同22年広島市の町名となる明治15年広瀬村の一部を編入同33年の広島繁昌記では商店29うち旅人宿6,ほかは諸産物の卸・小売など大高十郎は明治10年明教寺で子弟に仏教を説き,読書・習字・算術などを教えたこれが機縁となり,同12年光道館を設立,のち光道小学校と改称大正13年には神戸以西初という鉄筋3階建ての校舎が落成当時異色の自由教育・宗教教育・男女共学を実施したが,被爆後廃校(新修広島市史)大正6年の戸数206・人口827,昭和26年の世帯数81・人口315同40年油屋町・塚本町の各一部を編入同55年中区の町名となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 猫淵村【ねこぶちむら】 (近世)江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 猫淵村(近世) 江戸期~明治9年の村名津軽郡鼻和庄のうち岩木山北麓の山田野台地が津軽平野と接する周縁部に位置し,海抜10m前後の台地上に立地する西は山田村,北東は漆館村,東は玉川村に接する弘前藩領天和3年の広須御新田所図に村名が見える村高は,元文元年検地帳137石余(田127石余・畑10石余),「天保郷帳」144石余(うち弘前本では寛政10年改出新田102石余・文政2年改出新田42石余),「旧高旧領」165石余元文元年検地帳によると,反別は田畑屋敷合わせて29町7反余,うち田22町余で,中田はなく下々田が17町7反余(88石余)を占め,畑7町余で,上畑から下々畑まで設定されているが,下々畑6町3反余(6石余)とほとんどを占めているほかに42町歩の田山1か所があった享保12年には広須新田山通り36か村の1つで,村位は下,免合は五ツ成であった(平山日記)のち木造【きづくり】新田に属す(「津軽平野開拓史」では宝暦4年以降のこととする)地内清水に稲荷神社があり,祭神は倉稲魂命,明暦元年五穀成就,村中安全守護のため勧請したという(森田村誌)元文元年検地帳には「稲荷社地 三間三間九歩 宮建有之宮本駿河抱」とあり,5反歩の境内山があった旧村社明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」によれば,戸数26,村況については「小山の北にあり,田多く畑少し」とある同9年山田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 猫はずる賢いから「猫ばば」するのか 落とし物などを拾っても届けずにそのまま自分のものにしてしまうことを、猫ばばといいますね... |
出典:角川学芸出版「花マル雑学塾」
![]() | 猫谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 猫実村新田(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」