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平野【へいや】


(海抜が低く)平らで広い土地...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705351490]
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ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

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平野神社【ひらのじんじゃ】

京都市北区平野宮本町にある神社

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

平野荘(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平野郷町(近世)
 江戸期~明治16年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平野殿荘【ひらのどののしょう】
(中世)鎌倉期から見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

平野殿荘(中世)
鎌倉期から見える荘園名平群【へぐり】郡のうち平野荘ともいう皇室(宣陽門院)領東寺領暦仁2年正月日付宣陽門院庁下文案(東寺百合文書コ/鎌遺5376)に「可早令権僧正行遍門跡,進退領掌大和国平野殿事」とあり,当荘は宣陽門院(後白河上皇皇女覲子内親王)の所領であったが,この年仁和寺菩提院行遍に与えられ,次いで建長4年行遍から寄進されて東寺供僧料所となった供僧供料所となったのちも当初行遍は東寺領若狭国太良荘経営にも辣腕を振るった真行房定宴を預所に任じて荘務を沙汰したが,弘安年間頃から荘務の実権も供僧に移っている(東寺百合文書と/鎌遺11974・13003など)荘域は現在の平群町椣原【しではら】を中心に櫟原【いちはら】・上庄・西向などの一部を含む平群谷最奥部の丘陵地域で,元応2年11月日付年貢田代員数注進状案(東寺百合文書ヰ)によれば当荘の田地は免田7段350歩・負名田1町6段・京進米田2段64歩・定給田(預所給・下司給・惣追捕使給・定使給・職事給)8段290歩など合計3町4段344歩に過ぎず,年貢米賦課もあったが,鎌倉期には人夫役や当荘特産の松茸・筍などが重視された(東寺百合文書カ/鎌遺13207など)在地の荘官は下司と惣追捕使で両職は有力名主平氏が一族で占めていたが,正応元年には下司治部左衛門清重と惣追捕使太郎左衛門尉清永が闘争,東寺が両職を改易したところ,清重が一乗院門跡坊人であったため門跡が清重屋敷山林を点定したという(同前/同前16842など)正応6年正月には近隣の一乗院門跡領安明寺・吉田荘の百姓数百人が当荘山に乱入,山木を伐り萱草を苅り,当荘百姓に刃傷に及んだ次いで永仁3年正月にも下司に率いられた両荘百姓が当荘内文徳山の木を伐るなど,相論が繰り返されている(東寺百合文書と/同前18101・18102・18184・18512・18657・18727・18794・18922・19103・19157など)永仁~延慶年間には興福寺の郡使がしばしば荘内に入部,造興福土打段米の賦課などを強行した(同前ヨ/同前23912など)この郡使入部をめぐって当荘百姓と預所光清との間に軋轢が生じ,延慶4年には善長以下13名の百姓が署名で光清排斥を決議した(同前/同前24193)この頃荘内には四手原郷(現在の平群町椣原)が成立しているが,同郷は一乗院門跡領として所見し,荘内に同門跡の勢力が浸透していることがうかがえる室町期には荘官の平氏一族から一乗院門跡坊人の国民曽歩々々氏が出た同氏は明徳4年曽歩々々五郎信勝の代に平康清から下司職を買得して荘内における地歩を固めたが(明徳4年正月24日付平康清売券/教王護国寺文書2),信勝は応永12年に清勝・金勝寺僧舜識ら兄弟と与同して東寺への年貢・公事を対捍,下司職を改易されている(東寺百合文書ル・み・せ・ネ/大日料7‐8)すでに長禄~寛正年間から曽歩々々氏は同じ平群谷の島氏と並んで畠山政長党の筒井氏に属し,応仁・文明の乱の余波で文明9年筒井氏とともに一時在所から没落した(経覚私要鈔寛正2年6月21日条・寺社雑事記文明13年9月29日条)東寺への年貢進納は室町期から戦国初期(天文年間)にかけてなお維持され,大永5年閏11月12日付年貢散用状(東寺百合文書ネ)によれば本米15石のうち7石9斗4升を代銭5貫475文に替え,これに御菜米銭1貫700文を加えた7貫余から下司給・庄屋給などを差し引いた6貫25文が東寺に納入されている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平野町【ひらのまち】
(近世~近代)江戸期~現在の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

平野町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は大坂三郷北組のうちはじめは1~10丁目,江戸中期は1~3丁目,明治5年からは1~5丁目がある「初発言上候帳面写」(大阪市史5)によれば,1~2丁目が1丁目に,3~5丁目が2丁目に,6~9丁目が3丁目に,10丁目は屋ぶた町とともに亀井町になったという当町の西方に鎮座する御霊神社の祭神は百済氏出身の早良親王といわれ,京都平野神社が百済氏を祀ることから,御霊神社界隈の当地を平野町と名づけたという当町は江戸期より御霊神社を中心とする商店街を形成日用品の買物町としてにぎわった1・6の日に開かれる夜店は浪花名物の1つ1丁目は「ひらのばし西詰より西へ」の町で(宝暦町鑑),元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば家数31軒,役数37,うち無役数2(惣年寄・丁年寄),年寄は大久保屋長右衛門十人両替の1人炭屋彦五郎(白山氏)は天明8年1丁目に開店砂糖会所も置かれていた2丁目は「堺すじ少東より西へ」の町で(同前),元禄13年の同帳によると家数35軒,役数44.5,うち無役数2(年寄・会所),年寄は和泉屋与兵衛堺筋角には屋根に城櫓を配し矢倉屋敷として有名な酒商米屋喜兵衛の屋敷があった米屋平右衛門の別家で宝暦5年「沢の鶴」を銘としているまた2丁目には弘化4年心学信成舎が開設された3丁目は「中ばし筋少西より心斎ばしすじ迄」の町で(同前),元禄13年の同帳によれば家数40軒,役数51,うち無役数3(惣年寄・年寄・会所),年寄は和泉屋忠右衛門3丁目には元和2年以来,大坂三郷の北組を管轄する町人の自治組織である北組惣会所が置かれていたまた京都仏光寺の掛所があり船場御堂とも呼ばれていた明治2年大阪東大組,同12年東区,同22年からは大阪市東区の町名明治5年善左衛門町・亀井町を編入明治末期を最盛期に当町は日用品買物町として賑わい,市内五大商店街の1つに数えられていたしかし堺筋の市電の開通,大正期には堺筋に百貨店が進出,さらに昭和期には御堂筋に地下鉄が開通すると,キタやミナミに客を奪われ,次第に衰退していった明治45年,4丁目に勧商場五二館(淡路町の浪花館が移転して改称)が置かれ,寄席此花館は三友派の活躍の場であった明治3年当町で輸入唐物類の小仲立業を開業した松本重太郎は,のち第百三十国立銀行・阪堺鉄道・山陽鉄道・大阪紡績などを起こし,明治期大阪財界の巨頭となった世帯数・人口は,大正9年549・3,461,昭和30年206・1,422,同50年143・471...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

平野村【ひらのむら】
(中世)鎌倉期~南北朝期に見える村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

平野村(中世)
鎌倉期~南北朝期に見える村名日向国児湯【こゆ】郡平郡【へぐり】荘のうち現在の西郡【さいと】市平野字平野付近に比定される延慶2年3月20日の尼しんほう田地譲状には久目田4坪8町と平郡荘内平野村を実子なきによりあさなえのこまろを養子として譲っている(大光寺文書/日向古文書集成・日向国荘園史料1)貞和2年2月13日沙弥良阿譲状では,平郡荘内平野村屋敷2か所,さこの上2反2丈,同荘内久目田4坪8町,藤田5反・河原田1町を子孫三郎左衛門尉(相良)頼明に譲っている(伊予西福寺文書/日向国荘園史料1)この良阿はあさなえのこまろと同一人物であろう貞和5年7月20日に頼明は子息ひこしゆ丸に平郡荘平野村田地在家と同荘内久目田4坪8町の年貢を譲った(同前)この譲状に関連して翌貞和6年5月25日に畠山直顕から頼明息に平郡荘内平野村を宛行われている(同前)ところが9月21日の行秀書状を見ると,頼明息と領家方との間に問題が生じていたようである(大光寺文書)貞和6年7月7日の平郡荘内平野村久目田領家方御米取帳があり(同前),平野村の領家が大光寺であったと思われる観応3年9月21日の平郡荘平野・藤田別符等年貢済物には「ひらの御ひやくしようのなし物御ねんく」として「かわらたのうけのやうとう六百文」「とうたゝの御ねんく一反に三百文ツゝ」などをあげており,平野弁指以下の署名がある(同前)延文3年の平郡荘内平野村領家方坪付御米取帳并小物成日記には久目田4坪の領家方御米と平野小なし物日記がある(同前)尼しんほう田地譲状や沙弥良阿譲状では当村と並記されていた久目田・藤田・河原田が,貞和6年の御米取帳や同年の畠山直顕充行状などでは当村の内と,少なくとも文書発給者には認識されていたようである当村はこの頃,現在の西都市平郡字平野よりも広い地域を含んでいたと思われる当村には戦国期に,伊東氏四十八城の1つ平野城があった(日向記)なお,天正6年正月23日,島津氏が伊東氏勢力の掃討をすすめる最中,「平野之米良将監」は島津氏方として,反島津方を討った功により所領を与えられている(日州御発足日々記/旧記雑録後1)ただし,平野の地名は,当地のほかにも現在の日向市内などにあり,この記録の平野がどこにあたるかは未詳...

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平野町【ひらのまち】
(近世~近代)江戸期~現在の町名...

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平野村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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