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![]() | 芳雄炭鉱【よしおたんこう】 飯塚市と嘉穂郡庄内町・稲築(いなつき)町にまたがってあった炭鉱 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 芳賀郡 藤原京跡出土木簡に「下毛野国芳宜評⊏ ![]() |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳士村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳野荘【ほうののしょう】 (中世)室町期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 芳野荘(中世) 室町期から見える荘園名宇陀郡のうち大乗院門跡領応永12年に作成されたとみられる6月25日付宇陀郡荘々郷々注文(三箇院家抄2)に大乗院方荘園として「芳野」とある同時期の宇陀郡田地帳案(春日大社文書4)によれば,その田積・所当は「芳野庄田十二町六反〈四斗代,芳野殿当知行〉,米五十石四斗 除五石四斗仏神領 残米四十五石 畠地分七石五斗 以上五十二石五斗」田積は10町3段半ともいう(三箇院家抄2)応永11年芳野山城入道尭円が大乗院門跡から当荘領家職を恩給されている(御教書引付応永11年7月25日付門跡御教書/大日料7‐5)芳野氏は当地を本拠とする国民はやく春日若宮祭礼記(千鳥家蔵)に「正和4年流鏑馬十騎芳野二騎」,至徳元年の春日若宮祭長川流鏑馬日記に「放野」の名が見えるなど,鎌倉・南北朝期から春日若宮祭の願主人として流鏑馬役を勤仕している宇陀郡が伊勢国司北畠氏の勢力下に入ると,室町初期にはその麾下にあって沢・秋山両氏と並んで「和州宇陀三人衆」といわれるまで発展した(勢州四家記/群書20)当荘のほか田口荘(曽爾【そに】村上田口・下田口)・志那郷(大宇陀町上品・下品)・丹生谷荘(菟田野【うたの】町入谷)などに知行地を有している(宇陀郡田地帳案/春日大社文書4)戦国期には南・山尾・西田・萩野らの諸氏を同名衆として従え,享禄5年には宇陀郡の有力国衆たる秋山・沢・小川氏らと郡内一揆の盟約を結んだ(享禄5年6月29日付一揆契状・天文6年5月18日付芳野春竹丸等書状/沢氏古文書8)天文年間秋山氏が大和に入った細川晴元党の木沢長政と結んだが,芳野氏はこれに同心したため一揆の盟約が破れ,沢氏被官守道氏に攻められている(年欠9月17日付北畠天祐書状・9月晦日付同書状/沢氏古文書4)この頃には現在の東吉野村域にあたる平野・木津・谷尻・杉谷など諸郷の地侍を被官化して勢力を振るった(三箇院家抄2)天正4年北畠氏の家督となった織田信雄に属して,天正7年いわゆる第1次天正伊賀の乱には大和口から伊賀に進入した同12年信雄と豊臣秀吉とが不和となると,芳野氏は秀吉側に付き,その後沢・秋山とともに伊勢松坂城主蒲生氏郷の組中になっている(多芸録,勢州四家記/群書20)現在菟田野町東郷・下芳野・宇賀志の境界,城山の頂に同氏の城郭遺構,下芳野の下芳野小学校付近に居館跡がある(日本城郭大系10)なお春日神社石灯籠の銘文に「天正十二暦甲申 春日社 奉寄進為所願成就也,十一月廿一日 宇多郡芳野 宮内少輔藤原朝臣季□敬白」と見える(奈良市史工芸編)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳生野(近代) 明治22年~現在の東津野村の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳谷炭坑【よしのたにたんこう】 東松浦郡北波多(きたはた)村岸山(きしやま)にあった炭坑... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 芳心寺【ほうしんじ】 鳥取市馬場町にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 芳奈村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 芳生野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」