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![]() | 奉仕する人びとからみた「社」 [神社の神事に仕える]神主(かんぬし)・神主(かむぬし)・神主(こうぬし)・神職(しんしょく)・神官(しんかん)・神官(かみづかさ)・神官(かむづかさ)・主神(しゅしん)・主神(かんづかさ)・主神(しゅじん)・神役(しんやく)・神人(かみびと)・神司(かむづかさ)・神司(かみづかさ)・神(かみ)の宮人(みやびと)・神(かみ)の祝(はふり)・祠官(しかん)・社(やしろ)の司(つかさ)・社司(しゃし)・社家(しゃけ)・宮司(みやづかさ)・宮司(ぐうじ)・CID(7786)祝(びょうしゅく)・斎(いわい)・斎人(いわいびと)・斎主(いわいぬし) [神社に仕える神職の長]神主(かんぬし)・宮司(ぐうじ) [祭事の中心になる神職]神主(かんぬし)・祭主(さいしゅ) [神主の下、祝(はふり)の上に位する神職]CID(7769)宜(ねぎ) [CID(7769)宜の次位で祭祀などに従う]祝(はふり)・祝子(はふりこ)・祝人(はふりと)・祝部(はふりべ)・巫祝(ふしゅく) [神楽(かぐら)を奏し、神降ろしなどを行う]巫(かんなぎ)・巫(かみなぎ)・巫(こうなぎ)・覡(かんなぎ)・覡(かみなぎ)・覡(こうなぎ) [神楽を奏し、神降ろしなどを行う女性]巫女(みこ)・祝女(はふりめ)・巫(かんなぎ)・巫(かみなぎ)・巫(こうなぎ)・覡(かんなぎ)・覡(かみなぎ)・覡(こうなぎ) [郷社などの神職]祠官(しかん)・社司(しゃし) [社司の下に属する神職]社掌(しゃしょう)・祠掌(ししょう) [伊勢神宮に奉仕する職員]神官(しんかん) [伊勢神宮の神官の長]祭主(さいしゅ) [伊勢神宮の祭主に次ぐ大宮司・少宮司の総称]宮司(ぐうじ) [宮中の神事を司る]宮主(みやじ)・宮主(みやぬし) [神社の雑務を行う神職]社人(しゃじん)・社人(しゃにん) [清掃などの雑役を行う]神奴(かみやっこ)・神奴(かみのやっこ)・神(かみ)の御奴(みやつこ) |
出典:あすとろ出版「日本語使いさばき辞典」
![]() | 奉らす【たてまつら・す】 ((動詞「たてまつる」の未然形+使役の助動詞「す」))[1]〔「たてまつる」が謙譲語の場合〕<ア>〔「す」が謙譲の意を強める場合〕差し上げる... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 奉る【まつ・る】 <一>((上代語))[1](「与ふ」「贈る」の謙譲語)差し上げる... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 奉膳村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 奉らせ給ふ【たてまつら-せ-たま・ふ】 たてまつら-せ-たま・ふ【奉らせ給ふ】(―タマ(モ)ウ) ((動詞または補助動詞「たてまつる」の未然形+尊敬の助動詞「す」の連用形+補助動詞「たまふ」))<一>〔「奉る」が謙譲の動詞の場合〕差し上げなさる... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 奉行免村【ぶぎょうめんむら】 (近世)江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 奉行免村(近世) 江戸期~明治9年の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち慶長7年~元和8年最上氏領,同8年本多正純領,同9年から本荘藩領奉行目とも書く子吉【こよし】川氾濫原に位置し,現在の由利町川西字奉行免に当たる慶長17~18年頃,この地域は地味も肥沃で,田地の等級が上位であるにかかわらず,検地奉行が下免の評価をし,年貢の負担を他に比較して軽くしたところに地名は由来するという(西滝沢村誌)「正保国絵図」に奉行目村当高139石余と見えるのが初見元禄11年「村高帳」では139石余,「元禄7郡絵図」には奉行免と記され同高慶応4年「滝沢郷村鑑書上帳」(木村家文書)によれば,高264石余(本田・新田・畑とも),家数31・人数170(うち男88・女82),修験は和合院1軒中野村との間に渡し舟があり,長瀬という渡し場があった村鎮守は不動明王堂天保の頃から当村に奉行免歌舞伎・奉行免神楽が興ったという明治9年新屋敷村・米山村両村と合併して川西村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 奉じる・奉ずる【ほう(じる)・ほう(ずる)】 ①高貴な人に物をさしあげる... |
出典:あすとろ出版「同じ読みで意味の違う言葉の辞典」
![]() | 奉公人町【ほうこうにんちょう】 (近世~近代)江戸期~昭和56年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 奉公人町(近世~近代) 江戸期~昭和56年の町名江戸期は名古屋城下町続きの1町名古屋村のうち大代官所支配享保13年一部事務が町奉行の管轄となった地域の中に奉公人町と見えるので,享保年間以前に町並みの成立していたことがわかる(吏事随筆)はじめ当町は,江川端から江戸屋筋を経て,西へ半町余で行き止まりであったが,明和9年の火災後,新道筋まで町屋が開発されたという(名古屋府城志・尾張志)小伝馬町(のちの南駅町)の北,大伝馬町(のちの北駅町)の南の筋にあたり,奉公人が多数居住していたことが町名の由来という(名古屋府城志)明治に入ってからも町域には変動はなく,北駅町の南,外田町の西,南駅町の北,新道町2丁目の東に位置した(名古屋市史・尾府全図)明治11年名古屋区,同22年名古屋市,同41年からは同市西区に所属昭和50年の世帯数23・人口74同56年新道1~2丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 奉膳【ぶんぜ】 巨勢山東麓,曽我川上流域に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」