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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705361350]
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![]() | 宝蔵寺村①【ほうぞうじむら】 (近世)江戸期の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺村①(近世) 江戸期の村名小城【おぎ】郡のうち上村ともいう天山の南西麓に位置し,多久【たく】川の支流宝蔵寺川が流れる佐賀本藩領下多久郷に属す「宝暦郷村帳」には1村として見えるが,「天明郷村帳」には村名が見えない「丹邱邑誌」の享保6年田畑屋敷数町別改帳や文政6年戸口牛馬数調には別府【べふ】村の枝村として見える国絵図や「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」には村名が見えず,村高は不明「玄梁院様配分帳」では多久伊豆が地米高250石を知行集落は宝蔵寺川上流山麓部の段丘上に立地し,前面に階段状の水田が広がる鎮守は保城寺権現で,「丹邱邑誌」によれば大同2年に紀伊国の僧慶尊が熊野宮を勧請したという寺院には日蓮宗長栄山宝蔵寺がある「明治11年戸口帳」によれば,別府村のうちに「別府上村」と見え,戸数49・人口227なお,「小城郡村誌」によれば上村ともいうとあり,明治2年下村(古賀)・羽佐間・渋木・仁位所の4村とともに別府村に合併したとある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宝蔵院【ほうぞういん】 中頸城(なかくびき)郡妙高村関山にあった寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宝蔵寺【ほうぞうじ】 吉野郡東吉野村木津(こつ)にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺【ほうぞうじ】 千種(ちくさ)川支流志文川下流左岸の山麓... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺村【ほうぞうじむら】 (近世)江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち法蔵寺とも書く杵島山東麓に位置する佐賀本藩領須古郷に属す「宝暦郷村帳」では1村として見え小村に古町村があるが,「天明郷村帳」では馬洗村の小村に宝蔵寺村・古町村と見える初代藩主鍋島直茂の帰依を受け馬洗村に光明寺を建立したのち法誉上人は上黒木村のうちに1反1畝の敷地を拝領して法蔵寺を建て隠居所としたのが当村の始まりという(光明寺由来記)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宝蔵郷【ほうぞうのごう】 (中世)南北朝期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵寺新田【ほうぞうじしんでん】 (近世)江戸期~明治22年の新田名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 宝蔵郷(中世) 南北朝期に見える郷名相模国高座【たかくら】郡のうち文和2年7月17日の源光顕・僧有胤打渡状写(松雲公採集遺編類纂/県史資3上‐4236)に「政所料相模国一宮庄宝蔵郷内中村」とあるそれによると梶原五郎左衛門入道の跡であった当郷内の地が鎌倉法泉寺に寄進され,同寺による下地支配が行われていたことがわかる現在の寒川町内の地に比定されるが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」