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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705372040]
関連項目:
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![]() | 本田郷(中世) 南北朝期から見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田①【ほんだ】 本多とも書く... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 本田村(近代) 明治22年~昭和30年の北蒲原郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田村【ほんだそん】 (近代)昭和17~29年の比婆郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 本田新田村【ほんだしんでんむら】 (近世)江戸期の新田村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 本田新田村(近世) 江戸期の新田村名県北部,荒川中流右岸に位置する男衾【おぶすま】郡鉢形領のうち古くは数釜荘本田郷に属したという江戸初期に本田村の持添新田として開発された地で,検地は元和2年というはじめ幕府領,正保3年一部が旗本有賀氏の知行(真下文書),元禄年間からは旗本有賀・石野氏の相給村高は「田園簿」で200石余,うち田24石余・畑175石余「天保郷帳」では303石余また安永7年の「男衾郡本田新田村鑑帳」(本田文書)は畑102町3反余が村高に見合った土地であること,ほかに秣場が8町3反余あり,無民家の村であることを記している化政期の戸数47軒寺社は新義真言宗東福寺と鎮守八幡社本田村との境界の入り組みが複雑であったという合併年代は不明だが,天保8年までは本田新田村名を記載した文書が現存するため,それ以降に本田村に合併したと思われる現在の川本町大字本田字八幡・棒田【ぼうた】にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田【ほんでん】 長良(ながら)川の右岸に位置し,地内には糸貫(いとぬき)川と中川・五六川が南流する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 本田村(近世) 江戸期~明治32年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本田【ほんだ】 加治川左岸... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」