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![]() | 松葉城【まつばじょう】 宇和盆地南東部,東宇和郡宇和町にある西園寺氏の城跡 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉川村【まつばかわむら】 (近代)明治22年~昭和30年の高岡郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉荘【まつばのしょう】 (中世)南北朝期~戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉荘(中世) 南北朝期~戦国期に見える荘園名尾張国海東郡のうち元弘3年5月12日護良親王令旨案では,後醍醐天皇の京都帰還の忠功として「尾張国松葉庄・同国小家郷・備中国穂太庄」を京都妙顕寺に寄進している(妙顕寺文書/岡山市史2)康永元年8月21日足利直義下知状によれば,久我家領海東上荘内松葉・新屋両郷地頭職を建武4年以来平賀忠時が得ており,久我家との間で荘務権をめぐる相論を生じている(久我家文書1)観応2年以来,土岐氏が支配した海東上荘内の地は,応永元年8月3日結城満藤書状案では「海東松葉庄」あるいは単に「松葉庄」と称され,土岐氏の支配と土岐氏から久我家へ年貢が納入されたことが寛正3年9月6日良光請文に至るまで確認される(同前)天正11年8月吉日織田信雄蔵入地覚に「松葉拾弐郷」とあり,12か郷をそのうちに含んでいたことが知られる(国立史料館所蔵紀伊国古文書藩中古文書/佐織町史資料編2)「尾張志」は海東郡西条村を「松葉庄の本郷」とし,「張州府志」は同村内長福寺・光暁寺の山号がともに松葉山であることを記しており,当荘は大治【おおはる】町西条付近と推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 松葉町【まつばちょう】 (近世)江戸期~明治11年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉町(近世) 江戸期~明治11年の町名明治初年から岡崎を冠称岡崎城下の1町岡崎城の西,町並みは,岡崎城の松葉総門を出て東西に通じる東海道往還筋西は八町村伝馬役はなく,年貢地東端に幅13間の松葉川があり,松葉橋が架かっていたので町の名が付けられたという天正19年岡崎城主となった田中吉政が周辺の沼地を埋めて造成した町といわれる(旧岡崎市史)浅井了意の「東海道名所記」に「宿はづれに川あり,松葉川と言ふ,橋あり長さ三十二間」とある松葉橋は安永8年土橋となり,長さ24間1尺・幅2間5尺5寸となった松葉総門は承応3年に設置,番所が置かれ通行者を改めた橋の西に高札場があった町は低地でたびたび水難に見舞われ,延宝2年隣地福島から百姓を移住させ1石余の地子免許地が与えられた「岡崎藩万書上」では,寛政元年の庄屋利右衛門,高30石余,家数33・人数112,町の長さ往還通り1町56間3尺・幅3間享和2年の書上では,農業9,青物荷売・日雇稼各8,菓子卸売3,居酒屋2,餅屋1(同前)「旧高旧領」では高30石余明治11年八帖村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 松葉寺【しょうようじ】 飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町大字吹浦(ふくら)に所在... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉川【まつばがわ】 那須郡黒羽町を流れる川... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉町【まつばちょう】 (近代)明治11年~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉町【まつばちょう】 (近代)明治2年~昭和40年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 松葉鉱山【まつばこうざん】 須賀(すが)鉱山・潟野(かたの)鉱山ともいった(鉱業原簿など)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」