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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705440710]
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両替町(近世~近代) 江戸期~現在の町名はじめ1~6丁目,昭和20年からは1~2丁目がある明治5~22年までは静岡を冠称江戸期は駿府城下96か町の1つ明治22年からは静岡市の町名駿府城大手門の南に位置する町名は,慶長13年徳川家康が京都の銀座を駿府に移し,4町を座人の宅地とし2町に銀座役所を建て金銀の両替屋を置いたことに由来する(駿河国新風土記・駿国雑志)貞享3年の本家・借家数は,1丁目15・7,2丁目20・30,3丁目21・33,4丁目10・19,5丁目19・21,6丁目14・14(府内時之鐘鋳直申ニ付入用集銭帳)元禄5年の家数・人口・丁頭名は,1丁目21(うち丁頭屋敷1)・151・新左衛門,2丁目21(うち丁頭屋敷1・会所1)・226・新右衛門,3丁目22(うち丁頭屋敷1・かねつき堂1)・244・加右衛門,4丁目11(うち丁頭屋敷1)・128・吉右衛門,5丁目20(うち丁頭屋敷1・明屋敷1・会所1)・189,6丁目14(うち丁頭屋敷1・会所1)・173・助左衛門(元禄5年申2月駿府町数并家数人数覚帳)元禄年間創設の駿府定火消では1丁目井筒組・2~3丁目蛇目組・4~6丁目井筒組に属し,出人足は1丁目9・2丁目10・3丁目10・4丁目5・5丁目9・6丁目6人,文政4年創設の町方百人組合火消では府中4組のうち1~4丁目は南組,5~6丁目は東組に所属(旧版静岡市史)1丁目に居住した駿府の大富豪松木家は5代目の新左衛門が,元禄年間江戸の紀伊国屋文左衛門とともに大井川上流千頭山から材木を切り出し大富豪となったが,日向の開墾に失敗し正徳5年に死去した(松木新左衛門始末聞書)3丁目のかねつき堂は府中に時報を知らせるため,寛永12年三代将軍家光が土井大炊頭に命じて浅間神社造営の費用に分配した米の余剰分を換金して設置したもので,明治期に追手町に移された(旧版静岡市史)天和3年2月の茶町2丁目からの出火で3~5丁目が延焼し5丁目は3軒が全焼文化4年新通大工町から出た火事は,かねつき堂を含む当町全域のほか城下町の45%を焼失した大火であった天保5年11月の5丁目からの出火で4丁目の半分と6丁目を少し焼いた慶応2年3月呉服町2丁目からの出火では2~6丁目を焼失し2丁目では61軒のうち31軒・153名,6丁目では47軒のうち46軒・183人が難渋者となる(静岡市史)明治14年の静岡新聞の「静岡はなくらべ」によれば地内は割烹・酒屋など種々の商店が軒を並べていた明治末期頃から次第に飲食店街として変貌していった(静岡市中心街誌)大正4年の戸数298・人口1,515同7年米騒動で米商が襲われた(県警察史)同12年駿河銀行支店が3丁目に開店(静岡市産業百年誌)昭和20年1丁目の一部は本通1丁目・呉服町1~2丁目・人宿町1丁目・上石町,2丁目の一部は人宿町1丁目・上石町,3丁目の一部は七間町・人宿町1丁目,4丁目の一部は呉服町2丁目,5丁目の一部は呉服町2丁目,6丁目の一部は昭和町となる1~3丁目の残部と呉服町3丁目・七間町1丁目の各一部から新たな1丁目,4~6丁目の残部と呉服町4~6丁目・七間町1丁目・鍛冶屋町・下石町1丁目・平屋町・札辻町・江川町の各一部から新たな2丁目が成立し,両替町1~2丁目が再編成された昭和25年の世帯187・人口938同49年1丁目の一部が呉服町1丁目・本通1丁目となり,1丁目に本通1~2丁目・上石町の各一部を編入 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
両替町【りょうがえまち】 (近世~近代)江戸期~現在の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
両替町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治14~22年には伏見を冠称伏見町のうち北組両替町筋組15町に属す1~4・9~15丁目がある本来両替町通に沿って1~15丁目があったが,豊公伏見城ノ図では5~8丁目部分は銀座1~4丁目となっている以後両替町5~8丁目と銀座1~4丁目が併用されたが,幕末には後者が一般的となった豊公伏見城ノ図によると14丁目に山内対馬守,15丁目に里見安房守の屋敷がある寛文10年山城国伏見街衢並近郊図では両替町通1~15丁目と見え,両替町通の両側は町家地となっている1丁目には尾張中納言の名代柴屋善兵衛,2丁目には造酒家松屋七郎兵衛,3丁目には魚荷付株(仲間)の年寄荷着権兵衛,9丁目には京飛脚吉の屋伊八・近江屋金二郎,10丁目には造酒家塩屋政右衛門(明治2年当時),11丁目には真鍮赤打箔屋近江屋庄介,13丁目には具足師岩井平兵衛,塩屋仲間および造酒屋仲間の年寄伏見屋清左衛門,天明5年伏見奉行小堀和泉守政方の暴政を直訴した伏見屋清左衛門,造酒家塩屋彦次郎(明治2年当時)が居住(伏見鑑・天明八年御尋正徳年中以後造酒株内訳・寛政九年造酒屋株帳張紙・伏見町誌)1丁目の願船寺はもと天台宗の寺院で正福院と称したが,永正元年浄土真宗東本願寺の末寺となった13丁目の真宗東本願寺末受泉寺は慶長7年僧超運の開基(府地誌)天保頃の軒数は1丁目44軒・2丁目19軒・3丁目27軒・4丁目40軒・8丁目20軒・9丁目30軒・10丁目36軒・11丁目26軒・12丁目25軒・13丁目23軒・14丁目27軒・15丁目21軒(伏見町誌)1~4丁目は明治元年1番組,同5年伏見第14区,同7年第4区,同12年伏水第6組に所属,同14年1月紀伊【きい】郡第10組,同年10月鍋島町外27か町連合,同17年両替町1丁目外27か町連合のうちとなる9丁目は明治元年2番組,同5年伏見第7区,同7年第3区,同12年伏水第3組に所属同14年1月紀伊郡第7組,同年10月京町北7丁目外29か町連合,同17年新町6丁目外29か町連合のうちとなる10~15丁目は明治元年3番組,同5年伏見第4区,同7年第2区,同12年伏水第2組に所属同14年1月紀伊郡第6組,同年10月京町南8丁目外50か町連合,同17年米屋町外50か町連合のうちとなる明治22年伏見町両替町1~4丁目・9~15丁目,昭和4年伏見市両替町1~4丁目・9~15丁目,同6年伏見区両替町1~4丁目・9~15丁目となり現在に至る明治28年10丁目に伏見質屋組合が置かれ,昭和元年には組合員数30を数えた明治42年11丁目に伏見湯屋業組合が置かれ,昭和元年当時組合員数45を数えた明治30年山城鍛冶工組合が置かれ,昭和元年頃には組合員数8を数えた(伏見町誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
両替町【りょうがえまち】 (近世~近代)江戸期~昭和48年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
両替町(近世~近代) 江戸期~昭和48年の町名江戸期は久留米城下の1町城の南正面,外濠に沿って位置し,西は亀屋町に続き,東は片原町と交わる地名の由来は,当町の草創期に掛屋などの金融業者が居住したことにちなむと推測される当町目付の鎰屋理助の藩への書上には,元和7年に先祖が移住とある「家勤記得集」の承応2年外濠普請の条に当町名が見える当町居住の町別当布屋掛りに属した宝永年間の家数72(啓忘録抜萃)享保11年の城下大火後,濠際の家並みは原古賀町【はらんこが】町などへ移された安永年間の町間数3町余(筑後志)東・西・流れの3町で構成される「延宝絵図」によると,両替町横町と記され,「筑後志」に間数34間とあり,1丁目から南の呉服町通りへ抜ける道をいうが,店構えはない当町東端の外濠にかかる狩塚橋は,久留米町人の城内への唯一の通路で,橋際に寛延2年直訴箱がおかれた天明5年,藩校修道館(はじめ講席と称した)設立天保元年藩接客用の御使者屋が片原町から移され,明治維新によって三潴【みずま】県庁が置かれた同県庁は,明治11年御井郡編入後に郡役所として使用され,同22年久留米市となってからは市庁舎となる明治17年の戸数42・人口320明治13年士族授産の厚生社設置翌年両替小学開校,同20年久留米警察署開設同22年久留米市の町名となる同23年久留米絣同業組合事務所設立,同26年渡辺五郎らによる南筑私学校開設昭和4年久留米市公会堂建設と市庁舎新築,同13年市図書館開設など公共機関が並立した大正14年戸数80昭和20年一部地区が戦災にあうが,2丁目に両替町公園を設置した同45年の世帯数82・人口318同48年全域が城南町となるなお,町名は公園名に残っている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
両替町【りょうがえちょう】 (近世)江戸期~明治3年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
両替町(近世) 江戸期~明治3年の町名両替町通の二条下ルから南は三条上ルの間をいう寛永14年洛中絵図に「両かゑ丁」と見える「京雀」は両替町通御池下ルの町を「両替町下町」と記す町名は京都の流通経済の中心をなした金座・銀座が当町に設けられ,また,その役人も多く集住していたことによる金座は,「京都金座人由緒書」によれば慶長5年に後藤家が預かって以後,両替町通の二条~三条間に金貨鋳造関係者が集住したとするが,「京羽二重」などによれば,姉小路通車屋町南側にあった後藤家の屋敷を金座の所在地としているまた,銀座は,慶長6年に伏見に設けられ慶長13年に当町に移転,大黒常是が頭を務めた「京羽二重」には当町に多くの銀座役人の名を記す寛政12年には銀座役人の不正事件が起こり,銀座は頭役の大黒家を残し破却され,その跡地は貸地として町人に貸与したといわれる明治2年の「上下京町番組」に両替町通の二条~三条間が上京【かみぎよう】18番組に御貸地と記載され,町名が冠せられていないのはこれによるものとみえるまた,当町には金・銀座のほかに,朱座も設けられていた(京都大概覚書)また二条下ル町の西側に医師古野因徳(宝暦町鑑),長崎糸割符商人のひしや七郎兵衛(京羽二重織留)などが居住江戸期は,上艮組に属し69軒の軒役を負担明治3年両替町通の二条下ルより南の御池上ルまでは金吹町,御池下ルより姉小路上ルまでは竜池町,姉小路下ルより三条上ルまでは柿本町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
両替【りょうがえ】 exchange[U] ━━両替する (外貨を)exchange(他),change(他);(くずす)break(他),change(他)∥日本円を米ドルに両替する exchange Japanese yen for American dollars; change Japanese yen into [for] American dollars / 1,000円札を100円玉に両替できますか Can you change [break] a 1,000‐yen bill into 100‐yen coins? ◆*トラベラーズチェックを現金と両替する cash a traveler's check; get a traveler's check cashed [複合語]両替機 a change machine / 両替所 a money exchange / 両替屋 (人)a money changer / 両替料 an exchange commission... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」
両替【りゃう-がへ】 りゃう-がへ【両替】(リョウガエ) [1]銭(ぜに)と金銀など、ある貨幣を別の種類の貨幣と交換すること... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
両替町【りょうがえちょう】 (近世)江戸期~明治11年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
両替町(近世) 江戸期~明治11年の町名江戸期は名古屋城下の1町町人町の1つ碁盤割の北端,東西道路京町筋のうち本町筋と七間町筋との間の1丁東は京町,北側は評定所に隣接する慶長18年頃,京都後藤庄三郎の通所があった所へ,その後清須から両替商9軒が移り住み,両替町と名付けた(名古屋府城志)こののちも平田と称する両替所が2軒残っていた(尾張志)享保年間の家数18,町役銀690匁(名府予録)地内には御糸組所九郎右衛門,呉服商伊藤仁兵衛,御師柿沼太三郎らが居住していた(寛延旧家集)なお,両替所の株はのち伊藤仁兵衛の手に渡る(名古屋市史)明治5年京町・諸町を合併同11年京町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」