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「鈴」の関連ワード⇒ ワンステップ ワンタッチ ワンダン 

鈴【れい】

{常}
すず...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705445410]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

『福武国語辞典』を元に編集した電子特別編集版。日々の仕事・生活の中で使われる言葉や意味、用法が重要な現代語を中心に約6万語を収録。文章を書く際に役立つよう用例を多く掲載するなど使いやすさを追求した国語辞典。

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鈴鹿郡

古代末期,元暦元年7月,伊勢平氏平信兼等が蜂起(玉葉ほか),鈴鹿山をふさぎ源義経軍に抵抗したが敗れ,元久元年3月には,伊勢平氏の残党が鈴鹿関所をふさぎ,若菜五郎が関・小野に城郭を構え蜂起している(吾妻鏡元久元年4月21日条)

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴鹿駅【すずかのえき】
(古代~中世)奈良期~鎌倉期に見える駅名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鈴鹿駅(古代~中世)
奈良期~鎌倉期に見える駅名伊勢国鈴鹿郡のうち関駅家・関戸駅とも「万葉集」に「鈴音の駅亭の包み井の 水をたまへな 妹が直手よ」(巻14,3439)とうたわれた駅家は仁和2年以前,東海道が加太越えで伊勢に至る時の駅家で,所在地は関町古厩【ふるまや】に求められるのに対し,仁和2年東海道が阿須波道=鈴鹿越えを採るようになって以後の駅家は鈴鹿川北岸,関町新所のあたりに求められる「延喜式」兵部式に駅馬20疋と規定されているが,この駅家はすでに北岸に位置したものであった律令体制の弛緩とともに駅家制も実質を失っていくが,当駅家の名が鎌倉期まで残るのは伊勢神宮への公卿勅使派遣時の宿泊地であったことによる公卿勅使は往復とも主として近江国勢多・甲賀駅,伊勢国の当駅,一(壱)志駅・離宮に宿泊,各駅家の舗設・供給・警固は国司に課せられたが(西宮記巻19・江次第巻12),律令制の駅家制と異なり常設の設備はなく臨時の仮屋が設けられたものであり,単に宿泊地という以上にはない勅使派遣は院政期にもっとも頻繁に行われ,鎌倉期嘉暦3年9月,万里小路宣房派遣を最後に途絶する(近世復活)当駅名は「権記」に「鈴鹿関戸駅家」(寛弘2年12月12日条)と記すほかは「左経記」(長元4年9月1・2日条),「経信卿記」(延久6年6月30日条)などには「鈴鹿駅」と見え,「雅実公記」(長治2年8月16・21日条,嘉承2年2月13日条)からは関駅,関駅家とよばれるようになるもとより厳密な区別でなく,「玉葉」では混用している(文治3年9月1・3日条)これは「関」が地名化したことによるものであろう寛弘2年12月,藤原行成は奉幣使として12日,鈴鹿関戸駅家に着,翌日,関戸より鈴鹿河にて祓を行い,一志駅に向かい,帰路17日鈴鹿に着,宿泊している(権記)長元4年9月,藤原経頼は帰路1日巳刻に壱志をたって「昏黒」に及び当駅につき翌日出立(左経記),源経信は延久6年6月30日,当駅に着,この時は関戸より4・5町程の所に借屋30宇ばかり建てられていた警固は在庁官人信任が行い,諸饗も彼が設けている本来,国司が行うべきところ,諸荘園が賦課に応じないため欠如したという国司が勤めないため,前駿河守平惟盛が饗饌提供を申し出ているが経信はことわって,「宇治殿(頼通)御庄」から送られた饗饌にあずかっているこれは備中前司が荘預図書頭資任をして用意せしめたものであった(以上,経信卿記)この頃から「駅家雑事」が国司闕怠という事態が常態化し,勅使の私的関係によることが多くなる天喜6年9月,幣馬が当駅で病気になり,勅使成清王は先例によりこれを郡司に預けているが(太神宮諸雑事記),寛治5年9月14日には神嘗祭使の郎徒の随身駄が当駅で死ぬ事件が生じている(伊勢公卿勅使雑例/神道大系神宮編3)鈴鹿山路の嶮難によるためであろう長治元年7月には「勅使中臣権大祐共行」が「服假之告」を得たと偽称し,ために参宮が遅怠する事件がおきている(同前)同2年8月16日源雅実は「山路之嶮難,人馬共疲屡」しき体で関駅家に到着したが,「仮屋之躰疎略」,儲は「只一前」という有様で,「国司ノ奇恠,不可勝計」と非難している翌17日洪水の恐れがあるため,早朝雨中をたち,壱志にむかっている帰路21日午刻関駅家に着き,「国司如前為無音」であったが神祇小副兼政の忠節を尽くした酒饌に感激している(雅実公記)彼は嘉承2年2月ふたたび勅使を勤め,13日近江石部駅をたち,鈴鹿山中で国司の迎えをうけ酒饌にあずかり,申時関駅に到着,国司の儲は「如形」で「仮屋又以疎略」であったが,この時も,兼政の「海陸之珍」「丁寧之勤」に感激,帰路18日も「国司如形儲饌」であったのに対し,兼政「殊以丁寧」であった(同前)藤原宗忠は永久2年1月勅使を勤め,29日関駅に着在庁官人たちの舗設した仮屋は10余宇にすぎなく,「甚不足」,在庁官人達は,国司の交替で「新司未知誰人」,「国之力不叶之由」申すのみであった彼は「私相語」で祭主,「人々庄々各送物」によって1泊,帰路2月5日今度も「在庁官人等雖作仮屋,不及其儲」のため,備前守平正盛が儲を設けている(中右記)治承元年9月12日勅使藤原実房は関駅に着,この時も「国司供給如形」で,内大臣平重盛の下知によって「宿直輩」が来り,「雑事之儲」を提供しており,祭主親隆も同じく饗饌を送っている帰途16日には重盛と,国司忠清から提供をうけている(愚昧記)文治3年9月斎宮潔子内親王群行にあたって,鈴鹿駅斎王御所が,郡司の対捍のため建設されず,兼実をはじめ,一条能保行事左少弁親雅が奔走(玉葉9月1・3日条等),寛喜3年10月の勅使藤原隆親派遣については「民経記」に詳しく記述されているが,関駅家については仮屋舗設は国司,供給は往路は祭主,帰路は国司,勅使守護は守護所左衛門尉忠家が,人夫は祭主・守護各50人,伝馬も祭主・守護各30疋となっており,さらに国司所課の駅家雑事は拒捍使2人が伊勢国各荘園に賦課催徴している(5月3日~10月9日条)平安期と違って,守護が重要な役割を果たしているこのうち祭主所課分は,正嘉元年の亀山天皇宣旨案(光明寺古文書/鎌遺8144)に河曲【かわわ】郡南職田が「六月月次祭奉幣使鈴鹿駅家雑事䉼所」とあるごとく,奉幣使ごとの料所が設定されていたようである嘉暦3年万里小路宣房を発遣するにあたっては後醍醐天皇綸旨が祭主隆実に下されて,「関一志等駅家,上下向供給,人夫伝馬以下」の調達が命ぜられているが,現実はいかなる状況であったかは不明である(嘉暦3年戊辰9月10日公卿勅使御参宮日記/神道大系神宮編3)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴鹿郡
天正18年関盛信が陸奥国白河へ移ると,代わって同年岡本宗憲が亀山城主となり,2万2,000石を領有した...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴鹿山脈【すずかさんみゃく】
三重・岐阜両県と滋賀県との境をなし,南北に走る山脈...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鈴田村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴鹿川【すずかがわ】
八十瀬(やそせ)川・甲斐川・関川・高岡川ともいう...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鈴江村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴丸丁(近世~
 江戸期~現在の町名...

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鈴浦村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鈴久名村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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