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連【れん】

{教}{常}
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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:705448710]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

『福武国語辞典』を元に編集した電子特別編集版。日々の仕事・生活の中で使われる言葉や意味、用法が重要な現代語を中心に約6万語を収録。文章を書く際に役立つよう用例を多く掲載するなど使いやすさを追求した国語辞典。

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連雀町【れんじゃくちょう】

(近世~近代)江戸期~現在の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

連雀町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は高崎城下町の1町で,明治22年高崎町,同33年からは高崎市の町名となる高崎城大手門前に位置する町名の由来は,慶長3年井伊直政が箕輪城から交通の要衝を求めて高崎城へ移城した際に,箕輪城下にあった連雀町をそのまま大手門前に移し,町名を継承したことによる箕輪において里正(町長)であった貝発新兵衛・堀口務右衛門は,高崎移住後も町の長を務めた彼らは直政の命により総町役人の長となり,当町は城下町の第一とされた(高崎志/高崎市史)当町は高崎城入口の四辻にあって,番屋および木戸が通町出口に設けられていた(更正高崎旧事記/同前)町は東西の町で,当初は追手門前から升形木戸までを1丁目,2丁目は東の大道(中山道)まで,さらに東の通町境までを3丁目としたただし1丁目は,寛文9年高崎藩主安藤重長の命によって,民家を移して高崎城の外郭に取り込まれ,家臣の宅地とされたが,享保12年の火災により,城内の防災のために空地とされたそのため広小路と俗称されたという(高崎志/同前)箕輪から移ったころは,当町域内には広い敷地の大きな民家があり,各家は城下を通過する諸大名や公用者の休泊場として利用され,そのため各家は総じて本陣と呼ばれてきたが,のち町年寄の家が本陣機能を果たすようになったその家は数度の火災で家作を縮小したが,また城主は近くの倉賀野に宿駅があって本陣も置かれているため,それで十分だとして,あえて高崎には以後も本陣を置かなかったというただし,先の家は玄関・座敷を構えており,諸大名が城下を通る時は,城主の家臣がここに出向いて応対をした(同前)そもそも当町は高崎城下構築の中心に据えられた町で,当町を基本に,順次南北へ城下町の地割りが行われたそのために当町の北側の町である田町では南を上とし,また南側の町である新町では北を上とするようになった(同前)「高崎寿奈子」によれば,町の長さ1町37間,商売は穀物問屋・油・小間物・太物・薬種多く,紙店・糀屋その他とあるまた西の横町の2丁目については,前通りから石橋まで2町9間3尺,残らず紙店,東の横町の3丁目には,木戸・辻番所が置かれ,通町へ出る福島道沿いの町とある(高崎市史)当町における紙売買については,大手門前に位置するため,清潔な品物を売買するように城主に命じられ,そのため下仁田村産の紙の売買をすることとなり,他町での紙を売買することは禁じられたただし挟紙と称して,他町では紙を畳んで竹に挟んで売った(高崎志/高崎市史)地子免除の町であったが,天保11年の下和田村唐沢分持高帳によれば,屋敷2町3反3畝7歩が地子免許地で,唐沢年貢(地子銭)を納める土地もあり,それは上畑9畝歩,1貫700文取でこの鐚銭1貫530文・目銭61文,屋舗3反4畝11歩(太郎兵衛高津氏分)が1貫500文取でこの鐚銭5貫155文・目銭214文とある(更正高崎旧事記/高崎市史)神明社(伊勢殿)三峰神社があった神明社が伊勢殿と呼ばれるのは,11月の末から12月の初めにかけて伊勢神宮の御師が来て,春まで逗留をしたことによる明治2年年貢減免を求めて高崎藩領の村々が起こした五万石騒動の時には,城下に押し寄せた一揆は当町の木戸を破り桝方の木戸まで押し寄せた当町では昼食の焚き出しをして,たくさんの漬物やおでんを何千串と用意したまた湯茶の接待なども行われたという明治9年改めで宅地8,929坪9合6勺,この地価金5,024円96銭2厘(同前)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連尺町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連雀町【れんじゃくちょう】
(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

連続【れんぞく】
succession[C][U];(同種のものの)series[C](複~)
━━連続の
(次々と続く)successive;(とぎれることない)continuous;(間をおかずに続く)consecutive, straight;(通しの)serial
[参照]⇒ふれんぞく
*失敗の連続 a succession of failures;(→失敗に次ぐ失敗)failure after failure / 連続強盗事件 serial [successive] robberies / 連続優勝 successive [consecutive] victories / 5回連続のテレビドラマ a series of five TV dramas
*その地域では3か月の間に連続して大地震に見舞われた A series of big earthquakes hit the area over three months.
*岡氏は2期連続当選した Mr. Oka has been elected to his second consecutive [straight] term.
*4日連続で雨降りだ It has been raining for four straight days.
*古木はその試合で3打席連続ホームランを記録した Furuki hit three back‐to‐back home runs in the game.
[複合語]連続関数 《数学》a continuous function / 連続小説 a serial novel / 連続性 continuity / 連続ドラマ a serial drama...

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出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」

連雀町(近世~近代)
江戸期~昭和41年の町名江戸期は前橋城下町人町の1町で,明治22年前橋町,同25年からは前橋市の町名となる貞享元年の「前橋風土記」による城下19町のなかに町名が見える(県史料集1)前橋城大手門札の辻に接し,八幡宮門前町として南北の通りを中心に最も早く町屋を形成し,商人頭木島氏も居住したなお町名の連雀は行商の運搬具を指す木島助右衛門は,天正11年小田原北条氏から西片貝分100貫文を与えられ,同13年連雀頭を許されて金井宿町人頭となり,厩橋城拡張により金井宿が城内となるや連雀町へ移ったという(木島家文書)文政4年の前橋総町絵図(勝山氏蔵文書)によると,市神牛頭天王が八幡宮門前の木島家屋敷内に祀られている市は天正年間から始ったと思われるが,酒井氏家臣勅使河原三左衛門の著した「直泰夜話」には,天和3年11月27日願いにより連雀町2・7の日の市立てが許可されたとあるこの市はやがて本町の4・9の日の市や新興商人の出現により脅かされ,寛政5年の御用雑日記(松井家文書)によると,本町以外の市開設が禁止され,例外として本町に接していた連雀町は,本町の市の連続としてその余り品の市場を立ててもよいとされる状態であったまた,当時近郷農民による青物市が開かれるなど市の統制が乱れ,商人頭の木島助右衛門は寛政6年に連雀町市場青物等市売頭(井田家文書)を出している町の面積は,文政4年の前橋総町絵図で1町8反余,家数42,社寺1なおこの以前,安永9年11月16日の大火記録(松平藩日記)によると,当町の総家数53うち焼失52,その内訳は家主27・店借20など,類焼社寺は神宮寺土蔵・八幡宮・諏訪宮とあるまた寛政2年の家数人別書上帳(前橋市立図書館蔵文書)では組数5,家数36・竈数46,内訳は家主36・借家10,人数は男84・女75,浪人1,寺社1,持馬4なお文政12年の諸職人元帳(勢多郡誌)の連雀町の職人は大工1・畳刺1・桶師2・鍛冶師1有力商人には木島氏のほか江戸末期苗字帯刀を許された田口清兵衛,最後の名主池田清造らの名が諸書に見える明治21年の「名称区域」では,人口723・戸数132,宅地2町6反余など昭和41年本町1~3丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連尺町(近世~
 江戸期~昭和32年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連島村(近世)
 江戸期~明治8年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連雀町【れんじゃくちょう】
(近世~近代)江戸期~昭和44年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

連雀町(近世~近代)
江戸期~昭和44年の町名江戸期は館林城下19町の1つ(館林記/県史料集2)延宝2年の館林城下町図(館林市立第一資料館蔵青山文書)によると,館林城大手門と札の辻の間に位置する町人町で,西は竪町に続く町名の由来は,中世末より六斎市が立ったところで,市日には近郷農民などが生産物を連尺(連索)にくくり付けて商ったことによるという(館林町誌稿・館林市誌)この六斎市については,天正12年小田原からやってきたういろう(薬)売りの商人が,小田原の北条氏直へ当地の市開催希望を仲介し,小田原北条氏より許可されたとの話を伝える(館林記/県史料集2)そこで大手門近くの当町に市場の神を祀り,同地付近を市開設の場所とし,以来3・8の六斎市が開かれるようになったしかし寛文・延宝年間頃になると,開催地連雀町通りは城の出入りに差し支えがあるとの理由で,竪町・谷越町・足利町の3か所に移され,この3か所で交互に開くという方法がとられた「館林記」によると,延宝2年の家数は板葺家28,人数194うち男109・女85,馬17(県史料集2)弘化3年の町方引渡帳(館林藩史料/館林双書)によれば,家数51うち町役人無役屋敷1・町役人無役屋敷借家4・定使無役屋敷1明治末年館林城二の丸跡に従業員2,000人といわれた上毛モスリンが設立され,当町中央付近を東西に走っていた道路が町内東端付近から旧城内まで延長され,さらにこの道路南側にあるモスリン会社から館林停車場(現館林駅)に通じる軌道も敷設され,原材料や石炭・製品などの頻繁な輸送が始まり,会社の発展とともに当地域は繁栄した(邑楽郡誌)しかし大正15年にモスリン会社は破産したため,館林商店街の打撃は大きく,特に当町界隈はその影響を強くうけた町名は,明治22年館林町館林,昭和29年からは館林市館林の通称町名として存続してきたが,同44年本町1~4丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

連名のときはフルネームを書く
お祝い金は、のし付きの祝儀袋に入れて贈ります...

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出典:角川学芸出版「社会人のマナー188」

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