- JLogos検索辞書>
- 鷲とは
- amazon商品リンク
![]() | 鷲羽山【わしゅうざん】 児島半島南東端,倉敷市下津井田之浦にある山 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲敷町(近代) 明治40年~現在の那賀郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鷲頭荘【わしずのしょう】 (中世)鎌倉期~室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲頭荘(中世) 鎌倉期~室町期に見える荘園名周防【すおう】国都濃【つの】郡のうち「地名淵鑑」は「久保村の内,河内・大河・下松町(東豊井・西豊井)旧庄域なり」として,現下松【くだまつ】市の豊井・河内あたりを荘域に比定している立券の時期は不明であるが,「仁和寺諸堂記」(群書24)に「蓮華寺号周防堂,鷲頭庄北堂領也,今皆破損之間,其勤彼本寺内艮用(角)不動堂,以青蓮寺二箇所〈各六人也〉三昧十二人,自昔被勤北院夏衆也,周防堂号者若周防国司建立歟,将又鷲頭庄之故歟,可尋之」とあり,京都仁和寺の塔頭の1つ周防堂は鷲頭荘の一部をその維持費に充てていたようである周防国諸郷保の地頭に対してその押領を停止した永仁2年10月13日付の北条実政施行状案(尊勝院文書/鎌遺18673)に「大内村佐波令鷲頭地頭殿」と見える南北朝期から室町期にかけての荘域は,陶弘政が代官安永四郎左衛門尉に宛てた貞和3年3月21日付の文書に「鷲頭庄山田郷中村」とあり,同じく弘政が生野屋与一権守に宛てた同年4月28日付のものに「鷲頭庄末武郷三分一」,また弘政が同人に宛てた正平16年11月13日付のものに「鷲頭庄生野郷松尾八幡宮」と見え(寺社由来7),下って応仁元年4月2日の「大内氏掟書」に「鷲頭庄妙見山」とあることから,およその推測はつく文明18年10月大内政弘在判の氷上山由緒書によると,推古天皇17年「鷲頭庄青柳浦」(下松浦の古名)に大内氏の祖琳聖太子を守護するために北辰尊星が降臨よって,ここに社を建立したが,のち社を桂木,高鹿垣,さらに鷲頭山に移したとある(寺社由来3)大内氏16代盛房の三男三郎盛保はこの荘を領して神社に奉仕し,地名によって鷲頭氏を名乗ったと記しているこの盛保は「玉葉」治承2年10月8日条に父盛房・兄弘盛とともに,許されて配流先から召還されている鷲頭氏は長弘のときが全盛期で,北朝から周防守護に任ぜられ,大内氏の宗家をしのいだ時あたかも南北朝期にあたり,宗家の弘世との間で抗争が起こると,鷲頭氏の拠点であった鷲頭荘は戦場と化した観応3年8月の鷲頭家々臣内藤藤時の軍忠状(閥閲録99-2)に「今年二月十九日寄来鷲頭庄,白坂山取陣」と見える主要な合戦は8月頃まで続いたが,翌年大内弘世に服したようである下って弘治2年毛利元就軍が周防を西進し,都濃郡でも大内義長軍と戦ったが,この時の合戦で戦功をあげた粟屋元通に宛てた毛利元就感状(閥閲録74)に「今月(四月)十八日於鷲頭敵一人討取候,翌日十九日於下松敵五人討取候」とあり,鷲頭と下松が併記されている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鷲林寺【じゅうりんじ】 西宮市鷲林寺町にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲林寺①【じゅうりんじ】 「じゅうれんじ」ともいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲峰神社【じゅうぼうじんじゃ】 気高(けたか)郡鹿野町鷲峰にある神社... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲宮村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 鷲羽山遺跡【わしゅうざんいせき】 旧石器時代後期の遺跡... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲山城跡【わしのやまじょうせき】 綾歌郡国分寺町柏原(かしはら)・坂出(さかいで)市府中町にまたがる鷲ノ山(標高322m)にある新名氏の山城跡... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 鷲峰寺【じゅうぶじ】 綾歌郡国分寺町柏原にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」