ケータイ辞書JLogosロゴ 浅虫(近代)


青森県>青森市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ野内村,昭和37年からは青森市の大字。明治24年の戸数82・人口551,厩16,学校1,船21(徴発物件一覧)。現在は全国的な温泉地として知られるが,明治9年頃にはひなびた湯治場で,温泉客舎18軒という(わがふるさと,-新津軽風土記)。明治24年に日本鉄道(現国鉄東北本線)が開通し,浅虫駅が字蛍谷に開設された。このころから発展をはじめ,同40年には戸数190・人口1,100に激増した。旅館7・温泉客舎15・共同浴場2・商店33・貨物運送店1・味噌醤油醸造業1・製塩業1となり,小学校・停車場のほか郵便局・電信取扱所・電話局・巡査駐在所があって,町を形成した。しかし,農家・漁家も60軒ずつほどあり,耕地130町余,山林1,500町余,船は大小20隻を所有,米穀・蔬菜・木炭・薪材・豆もやし・ウニ・ナマコ・帆立貝などを産出した(同前)。明治30年代から観光地としての環境整備にも着手。地元有志によって馬場山に遊園地がつくられ,桜や梅が植樹された。大正13年には東北帝国大学の臨海実験所が坂本に置かれ,付属水族館が人気を集める。遊客の増加にともなって,歓楽街と化し,芸者・酌婦が150人もいた。昭和33年には解消され,健全な行楽地・観光地に戻った。昭和20年代に浅虫夏泊県立自然公園に指定された。島めぐり遊覧船コースや谷地山ハイキングコースを設定して行楽客を招き,同35年には年間70万人を数える。旅館35・温泉客舎5・公衆浴場1,公立・企業の寮も11か所に建つ。人口は4,000余と,町内全体9,200余人の半数に迫る。国道4号の整備改修がたびたび行われ,昭和40年に善知鳥崎トンネルが開通,同じく海岸埋立てによる浅虫バイパスの建設は,町の姿を大きく変える。最近は県立ヨットハーバー・県立水族館も開設された。昭和22年浅虫中学校が開校,同26年久栗坂中学校と統合した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250059
最終更新日:2009-03-01




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