ケータイ辞書JLogosロゴ 石田坂村(近世)


青森県>五所川原市

江戸期〜明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち梵珠山地西麓,岩木川支流天神川上流域に位置し,東方には馬ノ神山・梵珠山をはじめとする山地が広がる弘前藩領村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降の新田として見え83石余,「貞享4年検地水帳」52石余(田44石余・畑屋敷8石余),「天保郷帳」43石余,「旧高旧領」61石余天和4年書上帳によれば,家数6,うち御蔵百姓3・水呑3(長橋村誌)「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「前田」があり,反別は田5町4反余・畑屋敷2町8反余,このほかに開発可能地(田),池床3か所,漆木1本,草山1か所,永荒畑が見える元禄3年には飯詰組に属し,村位は下,家数4,うち庄屋1・百姓2・水呑1(平山日記)同4年当村の百姓3人が出羽国を旅行中に鹿1匹を殺したことが原因で,江戸へ護送され,幕府の生類憐み令によって八丈島へ遠島となり,当組代官は閉門,庄屋は慎みの処分をうけた(平山日記・永禄日記・封内事実秘苑)なお,宝永6年赦免となり,帰国した明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治2年の戸数12・人口90,馬15(馬橋村誌)明治初年の戸数13,村況は「山間に住し,僅に田畑あり農暇山に入て薪炭檜材を出す,本村の東太平ノ沢と云るにヒノ木あり」という(国誌)同9年戸沢村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250150
最終更新日:2009-03-01




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