ケータイ辞書JLogosロゴ 兎内村(近世)


青森県>五戸町

 江戸期〜明治9年頃の村名。三戸郡のうち。盛岡藩領。五戸通に属す。村高は,「正保郷村帳」105石余(田65石余・畑40石余),「貞享高辻帳」131石余,「邦内郷村志」161石余,「天保郷帳」161石余,「天保8年御蔵給所書上帳」161石余(御蔵高61石余・給所高99石余),「安政高辻帳」131石余,慶応3年「五戸通代官所惣高書上帳」(五戸町誌)179石余(蔵入高80石余・給所高99石余),「旧高旧領」179石余。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の中,家数16。なお,「邦内郷村志」では五戸村の枝村とされる。慶応3年の「五戸通代官所惣高書上帳」(五戸町誌)によれば,給人は円子定右衛門ほか5人がいた。元禄4年の木村又助給地は11石余,給地百姓は21人で平均持高は5斗余(木村家文書)。石盛は上田1石2斗・下々田6斗,上稗田7斗・下々稗田4斗,上畑9斗・下々畑3斗(郷土史叢)。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の戸数は,本村24・石仏13(国誌)。同9年頃五戸村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250273
最終更新日:2009-03-01




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