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「内町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

内町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は黒石城下の1町黒石陣屋に南接して東西にのびる武家町で,市ノ町とともに陣屋の大門が構えられている(鳥城志)享保年間の黒石府家之図に「士家...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7250294]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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内町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は米子城下十八町の1町城下を流れる旧加茂川河口付近の北側に位置し,城下の西端部にあたる外濠の内側にあり,西は中海に面し,東は西町と天神町(片原町)に隣接する旧加茂川を挾んで北側には灘町がある本来,濠の内側は家臣団の居住地区であったが,侍の用達をさせるために町人の居住を許してできた町人地である戦時に運送の役目をつとめさせたという文化元年の下札では生高25石余,物成米15石余幕末期の惣間数は139間7分5厘,安政6年の調査では144間7分2厘,市政所御備銀180匁元禄8年の竈数は家持56軒・借家74軒明治2年には表竈87軒・裏竈27軒,人高398人(米子市史)明治初年の戸数134・人口446(県戸口帳)役所として日野郡産の鉄を扱った鉄会所と海から出入りする人々に知らせるための制札場が置かれた当町と外濠外の町との境には京橋があり,ここには大木戸が設けられ木戸番が置かれていた制札場はここにあった町禄(町の専売権)として煙草刻が与えられ,その製造場があり,繁盛したという主な商人として後藤家・岡本家・タモリ家・大原家などの名が記録されている後藤家の先祖は天文年間石見国浜田より当地に移住,やがて造船と海運業を営み財を蓄積したという5,6隻の千石船で大坂・九州方面と米や鉄の貿易を行い,享保年間から明和年間にかけての4代・5代市右衛門の頃は,最も富力が盛んだったというその資力により弓浜半島の後藤村の開発やその一族により宝暦年間頃粟島新田の開発を行ったその後やや衰えたが,12代市右衛門に至りその富巨万に増し,中興の祖といわれ,この頃,表町(灘町)後藤,灘町後藤,粟島後藤などの分家ができた後藤家一族は,鳥取藩や家老荒尾氏,広瀬藩,また金方用達をつとめていた松江藩からしばしば御用金を命ぜられ,享保・元文年間頃から幕末までにその額数万両にも達し,財力を傾けたという6代市右衛門は米屋五左衛門とともに日野郡産の鉄を中心とする為替取扱座の差配を命ぜられた後藤家の裏から川口にかけて,為替蔵と鉄会所があった(安政年間絵図)神社には,宇気神社と河口神社が並んで鎮座していた宇気神社は,宇気大明神または弁財天とも呼ばれ,米子では賀茂神社とともに最も古い神社で,五穀豊穣の神江戸期には社領4石7升2合,社地は東西40間・南北12間,社は方1間半,祭日は2月初巳日河口神社は伊勢宮と呼ばれ,元文2年創建の安産の神として有名江戸期には社地は東西24間・南北20間,社は縦5尺・横8尺,祭日は1月・5月・7月・9月の各6日(伯耆志)両社は明治5年に合祀され,宇気河口神社となった当社の七夕祭行事はまれに見る古式の祭典である江戸期には当町や西町が繁盛したが,明治年間になってからは繁栄が次第に灘町へ移動しはじめた明治21年の戸数は農業9戸・商業21戸・雑業55戸・漁業4戸の計89戸,地方税44円余・町費103円余を納める(米子市史)同22年米子町,昭和2年からは米子市に所属後藤家では,明治20年に快五郎が出雲国能義郡より養子となり入ってから,家を再興し,坂口家と双璧といわれた質商・倉庫業・刻煙草の製造などを手がけ,質商ではその取扱額は山陰一,タバコ栽培にも力を入れ煙草王ともいわれたタバコが専売となるやその施設・試作地を官に渡し,タバコ元売捌人に指定されたこうした事業とともに,地域発展にも尽力し商工会議所初代会頭となり,土地を寄付したりしたので,後藤グラウンド(湊山球場),後藤駅,後藤工場などにその名を残しているこのほか,中村家も金物商や刻煙草製造,生糸会社などを営み,当町の事業家として有名である世帯数・人口は,大正12年137・651,昭和30年255・1,080,同40年264・927,同50年289・859昭和47年下水道内町中央ポンプ場が完成,米子市の下水道事業がスタートした

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

内町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は関宿を冠称江戸期は関宿城下町の1つ明治22年からは関宿町の町名町高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに66石余天保年間の貢租は永17貫43文余で,耕地は畑が多かった元和3年向下河岸(現埼玉県)から曹洞宗総寧寺が移され,寛文3年水害を避けるため国府台(現市川市)へ移転した(関宿伝記)船曳人足など水運業に従事する者が多かった神社は神明神社明治8年の反別11町6反余,戸数20・人数107(木間ケ瀬小沼家文書)同24年の戸数18・人口125,厩2,船3明治44年~昭和4年,昭和30年頃の江戸川河川改修工事により,鎮守神明神社をはじめ多くの家が移動,町内の大半が江戸川河川敷となった大正12年の戸数16,すべて農業昭和40年の世帯数15・人口81...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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