ケータイ辞書JLogosロゴ 大森村(近世)


青森県>五戸町

 江戸期〜明治9年頃の村名。三戸郡のうち。盛岡藩領。五戸通に属す。村高は,「邦内郷村志」83石余,「天保8年御蔵給所書上帳」83石余(御蔵高31石余・給所高52石余),慶応3年「五戸通代官所惣高書上帳」(五戸町誌)83石余(蔵入地31石余・給所52石余),「旧高旧領」83石余。「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には村名が見えず,「邦内郷村志」では五戸村の枝村とされる。「本枝村付並位付」によれば,位付は中の中,家数6。元和4年の根城南部氏への知行宛行状に29石余と見え(南部家文書),江戸初期には根城南部氏の給地であったとみられる。慶応3年の「五戸通代官所惣高書上帳」(五戸町誌)によれば,給人は伊東吉代見ほか1名。石盛は上田1石2斗・下々田6斗,上稗田7斗・下々稗田4斗,上畑9斗・下々畑3斗(郷土史叢)。当村と切谷内村の高40石余についての物成は,安政3年には仕付高34石余に対して43貫554文,文久3年には仕付高32石余に対して42貫483文,慶応2年には仕付高32石余に対して42貫483文となっている(五戸町誌)。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の戸数は本村10・佐野7,産物は馬(国誌)。同9年頃切谷内村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250420
最終更新日:2009-03-01




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