ケータイ辞書JLogosロゴ 大和沢村(近世)


青森県>弘前市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。村高は「正保高帳」159石余(うち田方144石余),「寛文高辻帳」159石余,「貞享4年検地水帳」251石余(田130石余・畑屋敷121石余),「寛保高辻帳」159石余,「天保郷帳」114石余,「旧高旧領」318石余。集落は大和沢川の西岸に発達する。「慶安2年道筋帳」によれば,小道の1つとして取上村大道より清水森村を経て当村までの道があり,「清水森より大和沢村迄弐拾七町五拾間,自是先山出かたなし」とある。また脇道として清水森村より当村までの道もあり,「清水森村より大和沢迄十一町,自是先山無出方」と見える。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「里見・沢田・岸田」があり,反別は田15町9反余・畑屋敷38町4反余(うち屋敷2反余)の計54町3反余,このうち田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定されていた。ほかに留山18か所,草山2か所・9反余,萱山1か所,永荒地3町余があり,漆木は1,817本と多い。元禄3年には堀越組に属し,村位は下(平山日記)。村内の神社は,「貞享4年検地水帳」によれば,村中抱えの稲荷社と山神社地があった。このうち稲荷社は現在字沢田にある稲荷神社を指し,祭神は倉稲魂命。また,明治初年の「国誌」によれば,小栗山村の小栗山神社に当村から明治5年に遷座した宇迦廼御魂命が相殿の1つとしても祀られている。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年中津軽郡に属す。「国誌」によれば,戸数101,うち支村狼ノ森31・深山沢8,村況については「土地菲薄且田少し,畑もまた麁悪にして鮮し。男は材を切り薪を採り或は雉兎を猟し,女は蔬果を采拾するを業とす」と記されている。同9年大和沢小学を開校,同年の教員1,児童数は32。同校は同15年大和沢小学校,同21年大和沢簡易小学校と改称。同22年千年村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250433
最終更新日:2009-03-01




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