ケータイ辞書JLogosロゴ 金木(近代)


青森県>金木町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ金木村,大正9年からは金木町の大字。明治24年の戸数337・人口2,427,厩128,学校1,水車場3,船4(徴発物件一覧)。同38年,藤枝街道筋より出火。南台寺・照蓮院・八幡宮をはじめ76戸を焼失した。県西北産馬組合は,はやくから競馬場建設を計画していたが,予算面で進渉しなかった。大正4年金木区会の競馬場敷地と多額の寄付により着工,翌年芦野競馬場が完成した。県畜産連合会主催第12・県競馬会を開催,盛況を極めたが,昭和8年に廃止された。近年復興の動きがみられる。昭和5年津軽鉄道が開設されると,同年7月金木駅,10月芦野公園駅開業。景勝地芦野公園には同9年金木商工会会員により500本の桜苗木が寄贈植樹された。地内芦野にある弘前大学農学部付属金木農場は,昭和6年県立金木種鶏場として発足。同9年の農事経営指導所,同年7月修練農業と改称。第1期修練生は50名。同13年修練堂が竣工した。同15年満州開拓地の花嫁養成目的で女子訓練所を当場に開設。第2次大戦中の同18年には応募制による県食糧増産隊の隊舎を兼ねた。戦後は,開拓増産修練農場,営農実習場,農業綜合研究所金木実験農場と変わった。この間多くの農村中堅青年を養成,地域農業発展に寄与してきたが,同31年弘前大学農学部新設にあたり,県から国に寄付され教育施設となった。この芦野地区には,昭和8年設置の五所川原農林高校金木実習農場大東農園がある。同21年芦野開拓組合が結成され,大東農園付近に55戸が入植。同23年児童は大東農園講堂にて学習,翌24年芦野に金木小学校大東ケ丘分校が開校,教室1,体操場1で教員数1であった。芦野にある県立金木高校は,昭和23年県立五所川原農林高校定時制課程金木分校として発足,同27年金木・中里・嘉瀬・喜良市・内潟・武田2町4村の学校組合による青森県金木高校(定時制普通科)として独立。同37年青森県に移管され全日制となった(金木郷土史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250599
最終更新日:2009-03-01




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