ケータイ辞書JLogosロゴ 金木新田(近世)


青森県>金木町

江戸期の弘前藩の組名貞享4年の総検地後,遣に代わって新たに設置された行政区域25組の1つ津軽郡田舎庄のうち津軽平野の北部,岩木川の下流右岸に位置する元禄11年春に新田頭鳴海勘兵衛が深郷田新田の開発に着手し,新田に移住した農民には飯米を下賜して推進した同年中には村数11か村,家数450軒となり,のちに組合として金木新田と称したという(平山日記)開発は湿地帯のため困難をきわめ,大量の人足は周辺村から徴発され,人足を勤められない農民には1日銀7匁が賦課されたため,没落した農民が多かった(同前)宝永3年10月の書上によれば,新田18か村の反別522町8反(田438町2反・畑84町6反),うち田方当荒引96町4反余・同作毛実入不申分引75町2反余・畑方実入不申分引21町8反余,年貢納米1,913俵余とある(国日記)同年11月新田奉行が廃止されており,開発が終了したとみられる元文元年の検地では田畑反別766町9反余となっている(同前)享保12年の所属村は,豊岡村・今岡村・福浦村・川内村・田茂木村・福井村・神原村・蒔田村・藤枝村・芦部村・大沢内村・久米田村・八幡村・船岡村・芦野村・富野村・豊島村・宮川村の18か所であった(平山日記)所属村の移動は頻繁に行われ,代官所は金木組の金木村に置かれた宝暦〜明和年間頃の親村8・寄郷10・庄屋8・五人組36,手代1(弘前市史)明和元年の藩律によれば,組内の村数18,戸数600余・人口3,260余とある寛政8年の津軽郡諸組民力消耗表(県租税誌)では,組内の面積は田方537町・畑方45町2反・貢米4,360俵,給地高38俵,高懸畑銀納2貫28匁余,人口2,141・戸数363,馬1,536とある明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)によれば,所属村として宮川村・八幡村・船岡村・大沢内村・久米田村・藤枝村・芦部村・豊島村・蒔田村・神原村・富野村・芦野村・田茂木村・福井村・長泥村・豊岡村・川内村・福浦村・今岡村の19か村が見える明治6年の大区小区制への移行に際して,組内の村は青森県第5大区8・9小区に編入された現北津軽郡金木町と中里町の一部に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250601
最終更新日:2009-03-01




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