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- 萱町(近世~近代)とは
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萱町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治初年から明治22年まで豊橋を冠称江戸期は吉田城下二十四町の1つで,裏町のうち吉田城の南西に位置し,町並みは南北に続き,北は指笠町,南は西組足軽屋敷に接する吉田宿伝馬役は平役町として人足役を課され,貞享元年には本門48軒のうち役門46軒で出人足41人を負担した同5年の家数49,町並み103間2尺,道幅2間5尺正徳2年の吉田惣町差出帳によれば,家数47・人数317,庄屋は長左衛門寛延3年の吉田弐拾四町指出帳では家数53・人数258同年の吉田弐拾四町指出帳書抜では,高25石余,出火時出役人足20,出水時に吉田大橋へ人足を出役(豊橋市史)文政2年の家数49,天保9年の家数50吉田城内の天王社の6月祭礼には指笠町とともに笹踊を奉納明治10年の地価取調帳によれば,面積3,843坪余・地価1,487円余同22年豊橋町,同39年からは豊橋市に所属昭和13年には豊橋紙商組合・豊橋砂糖商組合・三河薬品売薬同業組合の事務所があった(豊橋商工案内)同33年上伝馬町・松葉町・花園町・本町・指笠町・三浦町の各一部を編入し,一部が新本町・松葉町1~3丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」