ケータイ辞書JLogosロゴ 喜良市村(近世)


青森県>金木町

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は,「正保高帳」256石余(田233石余・畑屋敷23石余),「寛文高辻帳」156石余,「貞享4年検地水帳」414石余(田206石余・畑屋敷208石余),「寛保高辻帳」156石余,「天保郷帳」502石余,「旧高旧領」643石余。当村は下之切通筋に位置し,承応2年の津軽道程帳によると,飯詰村〜喜良市村の距離2里5町24間,その間に上り4町10間・下り3町40間の小田川坂があり「左右木山霜月より明二月迄牛馬不通雪之内」,また,喜良市村〜金木村の距離11町52間・道幅2〜3間であった。さらに元禄7年の御国中道程之図(国立史料館蔵)によれば,南は小田川村,西は作場筋野崎村と接しており,北は西流する喜良市川(金木川)を渡って「下喜良市村」が見え,喜良市村〜下喜良市村の距離6町15間とある。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「千苅・坂本・ひばり野・相野山・富田」があり,反別は田23町9反余・畑屋敷50町4反余,また,開発可能地(田畑)161町余,留林(鷹待場)2か所・6町6反余があり,このほか除地として熊野堂地・薬師堂地・阿弥陀堂地が見える。元禄3年には金木組に属し,村位は下(平山日記)。享保13年の反別は田29町4反余・畑屋敷30町5反余,家数79・人数504,馬106,また,地内の地名に「千苅・富田・ひは野」があり,熊野宮社司は長利竹斉とある(金木郷土史)。神社は,地内北端の千苅に熊野宮がある。同社は天正12年の再建といい,正徳4年・延享元年・安政2年の棟札があった(安政2年神社書上帳)。なお,のち明治6〜8年の間は小田川村立野神社に合祀されている(金木郷土史)。このほか薬師堂・阿弥陀堂があったが廃され,「安政2年神社書上帳」には,文化年間に当村の源左衛門が建立した金毘羅宮,および観音堂などが見えている。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年北津軽郡に属す。明治初年の戸数92,物産に関しては「産に薪炭檜材あり,広く四方に輸る」とある(国誌)。明治9年小田川村と野崎村を合併。同11年現在の小林寺の南側に校舎を新築して喜良市小学が開校,翌12年の生徒数87(男73・女14),教員2,同16年校舎焼失,翌17年新校舎落成。明治12年の「共武政表」によれば,戸数183・人口1,268(男584・女684),馬138,学校1,物産は米・大豆・檜・薪・炭。同14年農商務省官制が改正されると,林政も大林区署官制が施行され,同19年喜良市小林区署が当村に設置された(金木郷土史)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250764
最終更新日:2009-03-01




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