ケータイ辞書JLogosロゴ 桑原村(近世)


青森県>青森市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は,「寛文高辻帳」117石,「貞享4年検地水帳」240石余(田227石余・畑11石余・屋敷地1石余),「寛保高辻帳」117石,「天保郷帳」177石余(うち弘前本では享和2年改出新田60石余),「旧高旧領」297石余。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「稲葉・山崎」があり,反別は田34町余・畑屋敷5町余(うち屋敷地2反余),田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定されていた。このほかに開発可能地(田畑)5町1反余,漆木121本,萱山1か所・3町5反余,草山1か所・6反余,永荒地(田畑)3反余,稲荷社地が見える。元禄3年には横内組に属し,村位は下(平山日記)。宝暦9年改の御郡中郷村位付帳(弘前図書館蔵)でも村位は下とある。当村は水田耕作を主とする村である。神社は,地内山崎に享保19年再建という稲荷神社がある(青森市史)。同社は,のち明治初年の一時期,諏訪沢村の諏訪野神社に合祀される(国誌)。明治4年弘前県を経て,青森県の所属。同11年東津軽郡に属す。明治初年の戸数20,村況は「村居は山に倚り,田多畑少し,土地は中,農を業とす」という(同前)。明治12年の「共武政表」によれば,戸数23・人口144(男79・女65),馬20,物産は米・大豆。同22年原別村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250828
最終更新日:2009-03-01




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