ケータイ辞書JLogosロゴ 小島村(近世)


青森県>弘前市

江戸期〜明治9年の村名津軽郡鼻和庄のうち岩木山麓の東に位置する地名の由来は,開村者小島長兵衛にちなむと考えられる弘前藩領地内にある香取神社は,享保12年小島長兵衛が当村の開村に際して産土神として勧請したと伝えることから,当村の開発年代も享保12年頃と考えられる「平山日記」によれば,安永4年長兵衛が雀駆除のため百姓1軒当たり5羽ずつ捕らえるよう申し出,同人方へ雀の足を持参するよう仰せ付けられているまた,寛政3年に百沢寺(現在廃寺)が書き上げた岩木山の「沢定覚」のなかに,高杉組の1村として当村の名前が見える(平山日記)村高は,「天保郷帳」306石余,「旧高旧領」367石余高杉組に所属香取神社は「弘藩明治一統志」に当村の神社として社名が見え,祭神は経津主神,明治6年村社に列した明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数32,土地は下の下であるという(国誌)同9年富栄村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250876
最終更新日:2009-03-01




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