ケータイ辞書JLogosロゴ 五所川原市(近代)


青森県>五所川原市

 昭和29年〜現在の自治体名。五所川原町・栄村・中川村・三好村・飯詰村・長橋村・松島村が合併して成立。五所川原(旧五所川原町域で大字を編成しない地域)と他の合併各村から継承した33大字を編成。昭和30年嘉瀬村毘沙門を,同31年8月金木町長富を合併。同年9月下石川を除く七和村を合併,6大字を継承した。同年11月鶴田町梅田・中泉を合併,同33年には木造町小曲を合併した。梅田・中泉合併の際は,分町の住民投票が賛否両派の乱闘で中止となり,のち円満解決して合併したといういきさつがある。市役所新庁舎は昭和46年五所川原の現在地に完成した。昭和29年字新町に五所川原実業高等学院が創立,同32年五所川原商業高校となり,同47年唐笠柳へ移転した。昭和23年設立された五所川原家庭寮は,同48年五所川原第一高校となった。昭和38年には県立五所川原工業高校が湊に設立された。同54年市立七和高校が県立五所川原東高校となる。また昭和40年に五所川原中学校・松島中学校が統合して第一中学校となり,同47年長橋中学校・七中学校が統合して第二中学校となった。昭和32年当市の主催で五所川原平和産業大博覧会が開催され,7月から9月までの期間中,入場者約42万人を数えた。同36年には第1回五所川原市総合文化祭が開催され,同39年五所川原市民文化会館が開設されている。産業別就業者数の推移を見ると,昭和40年は農業1万1,744,林業・狩猟業69,漁業・水産養殖業4,鉱業40,建設業1,287,製造業712,卸小売業3,343,金融・保健・不動産業330,運輸・通信業791,電気・ガス・水道業156,サービス業2,717,公務635,その他2であったが,同55年は農業7,172,林業・狩猟業67,漁業・水産養殖業4,鉱業18,建設業2,785,製造業1,267,卸小売業5,578,金融・保険・不動産業493,運輸・通信業1,013,電気・ガス・水道業138,サービス業4,619,公務705,その他17となっている(統計でみるわたしたちの五所川原市)。昭和42年に松島町1〜8丁目(松島団地の地域),同52年にみどり町1〜8丁目(広田団地の地域),同55年に若葉1〜3丁目が起立し,当市は,五所川原(大字なしの地域)と19町44大字を編成。世帯数・人口の推移は,昭和30年6,729・3万7,785,同40年1万532・4万7,433,同50年1万2,829・4万9,040。同54年に浪岡町・柏町,同55年に木造町・柏村および鶴田町,同58年に板柳町・鶴田町との間で境界変更実施。当市は北・西両津軽郡の交通の要衝に位置し,地域の政治・経済・文化の中心として発展が期待されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250885
最終更新日:2009-03-01




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