ケータイ辞書JLogosロゴ 小向村(近世)


青森県>南部町

 江戸期〜明治22年の村名。三戸郡のうち。盛岡藩領。三戸通に属す。村高は,「邦内郷村志」274石余(うち給地213石余),「天保8年御蔵給所書上帳」276石余(御蔵高88石余・御免地高2石余・給所高184石余),「旧高旧領」275石余。なお,「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には当村の名が見えず,「仮名付帳」には三戸村の枝村として記される。「邦内郷村志」では,家数128,うち小向村(本村)11・聖寿寺27・古町48・森合2・二又11・米内7・広部5・古牧5・宮沢5,ほかに家数は欠けているが馬場の集落があり,馬数136。また,本三戸館跡,馬場館跡,小向小四郎の旧館跡,八幡宮,三光庵,隅観音堂が記される。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の上,家数123,集落別内訳は本村11・馬場12・古町40・米内6・二又10・正寿寺37・宮沢2・跡支1・古牧2・広部2。慶安3年の「雑書」に「本三戸二一里番小屋立申度」とあるように,川守田村の元木平より馬場を経て奥州街道が通り,八戸街道への分岐点にもあたっている。天和2年本三戸に切支丹禁制,貞享5年捨馬禁止の高札が立てられている(御領分高札集)。天保2年の「惣御代官所中高村付」では高167石余で,7か年の平均年貢率は1割1分余。天保12年奥州街道を境にして当村の東側は沖田面村の所属とされ,支村の聖寿寺も両村に分離されたという(三戸通神社仏閣地名書上帳)。「邦内郷村志」に枝村として見える聖寿寺は,この分割により当村に残った部分のことで,沖田面村の集落名としても別に聖寿寺の名が見える。中心集落の北端に若宮八幡宮があり,祭神は誉田別命。西南に稲荷神社があり,祭神は倉稲魂命。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の家数は本村96・二又20・米内5・広部4・跡支1・古牧3・聖寿寺46・八幡6・馬場26,地味は下の下,酒屋・刻煙草を業とするものがあるという(国誌)。明治12年の「共武政表」によれば,戸数・人口は本村31・172(男93・女79),正寿寺56・279(男153・女126),古町63・310うち男165・女149(ママ),馬場25・122(男66・女56),二又21・108(男58・女50),学校は二又1,寺院は本村1,水車は二又1,牛・馬は本村4・18,正寿寺3・63,古町1・31,馬場0・14,二又4・29,物産は米・麦・雑穀・麻糸・蔬菜。同20年小向小学校が開校した。同22年向村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7250946
最終更新日:2009-03-01




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