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青森県>弘前市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ豊田村,昭和30年からは弘前市の大字。明治24年の戸数71・人口580,厩35(徴発物件一覧)。明治30年外崎にあった外崎尋常小学校が地内字橋元に校舎新築,移転。昭和16年外崎国民学校と改称。同22年豊田村内の新里【にさと】・福村国民学校と外崎国民学校が合併し,豊田小学校を設立。新里・福村国民学校を分校とする。同年福村分校に豊田中学校を併設したが新里の独立校舎に移転。同23年福村分校と新里分校は統合して福村小学校となり独立する。豊田小学校は同30年弘前市立豊田小学校となる。大正10年中津軽郡統計書には,小字として川先・橋元・福田萢・狐森・富田がみえる。昭和2年弘南鉄道弘南線の弘前〜津軽尾上間が開通し,地内を列車が通ることになった。同41年市立豊田中学校と市立堀越中学校が統合し字川先に市立第五中学校として,生徒数595・教員24,学級数16で発足。地内に同50年から運動公園の建設が始まり,現在野球場・ラグビー場・陸上競技場・テニスコート・克雪トレーニングセンターが完成している。これに伴い,同52年弘南鉄道は運動公園前停留場を新設。また同年,国道7号弘前バイパス境関〜堀越間が開通した。一部が,昭和50年外崎3丁目,同51年外崎5丁目,同52年高田1丁目となる。同55年の世帯数211・人口882。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251082
最終更新日:2009-03-01




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