ケータイ辞書JLogosロゴ 下田村(近代)


青森県>下田町

 明治22年〜昭和44年の上北郡の自治体名。大字は編成せず。地内は55の字に分かれるが,これらの大字名は,明治4年七戸藩反別改の際に置かれた南下田・中下田・北下田の3か村の村名を用いたほか,旧枝村など古くからの呼称が使われた。行政上は13の区に分かれ,それぞれ区長を置いた。明治22年の戸数313・人口2,030(男1,070・女960),地区別内訳は第1区の奥入瀬川右岸地区の下田46・332,赤田3・24,鍋久保2・17,第2区の三本木30・198,第3区の奥入瀬川左岸の洗平21・133,第4区の新敷10・51,第5区の阿光坊20・142,第6区の木内々44・277,第7区の間木22・149,第8区の染屋5・36,木崎21・122,第9区の耳取8・51,秋堂23・141・第10区の中ノ平6・34,槻ノ木2・20,第11区の北方台地方面の前蒼前4・17,木ノ下23・145,第12区の鶉久保18・108,古間木5・32(戸口表・戸数人員明細表)。村役場は,町村制施行に際し,百石【ももいし】村との連合戸長役場を分離独立させ,庁舎は下田村戸長役場時代のものを使用。所在地は,字中下田(旧木内々)。明治24年の戸数304・人口2,063,厩279,学校3,船30(徴発物件一覧)。同年百石村との間で境界変更を実施。明治22年度歳入出予算にあらわれている木内々尋常小学校の学校器具費の中に「国旗校旗の新調費」が計上してあり,青森県下の校旗樹立記録の最初といえる。同年木内々尋常小学校は,木ノ下簡易小学校を併合し木ノ下分校とし,同34年高等科を併置,昭和2年木ノ下分校は独立し,同4年下田尋常小学校は高等科を併置,同22年下田小学校に下田中学校,木内々小学校に木内々中学校を,同24年木ノ下小学校に木ノ下中学校をそれぞれ併設,同25年木内々中学校は下田中学校に併合,同年木ノ下中学校の校舎新築。明治24年日本鉄道(現国鉄東北本線)が開通し,下田駅が開業。同27年には隣接する六戸村犬落瀬にも古間木【ふるまぎ】駅(現三沢市,三沢駅)が設置され,同駅周辺の市街地は三沢村・下田村にまちがり,同36年には停車場前・古間木の2区が新設された。古間木の人口増加で木ノ下尋常小学校の児童数が急増したため昭和10年六戸村の古木尋常高等小学校は,六戸村・下田村の組合立となるが,昭和23年大三沢町成立時に地内字古間木山の一部が同町に編入し,同時に六戸村犬落瀬の一部(字古間木・堀切沢)も同町に編入され,古間木駅・古間木小学校も同町の管下となった。昭和11年には向山駅が開業。世帯数・人口は,大正9年614・3,841(うち職業別人口は,農業3,034,水産業3,工業104・商業343,交通業155,公務・自由業74,その他128),昭和15年298・5,665。人口は昭和25年6,843・同35年8,062・同40年7,654(下田町誌)。明治35年は皆無作で,窮民救済のため御下賜金があり,救援金品を受け,村としては杉造林事業を行い,災害基金条例を定めた。大正2年は反当たり2斗内外の大凶作で,同5年には救済策に2,000円の起債をして村税負担軽減をはかった。昭和6年は貧困家庭児童に学校給食を提供し,同9・10年には冷害が続いたが餓死者を出すようなことはなくなった。明治41年木内々の若者中でポンプを購入し,私設消防組が誕生,翌42年に寄付し公設消防団となる。農業を基幹産業とする下田村にとって活路は北方台地の開拓で,木内々若者連が土地を入手して放牧・耕作・植林に努めるなど村民の目は向山地区に集中された。昭和6年県知事の意向を受けて県内を巡察した田村浩は「下田の駅からも千曳(古間木の誤か)の駅からも近い向山一帯は今は盛りの鈴蘭の原。すでに開かれた耕地と,今開きつつある耕地と未墾地には何百万円の富があって,失業者や貧困者の勤労を惜まない厚生の人たちを招いている」と報じた(陸奥村落紀行)。第2次大戦後,農地改革制度の実行により,昭和25年度の地主より農地買収の面積は田306町歩・畑663町歩・その他57町歩。73%が不在地主,27%が在村地主(県農地改革誌)。これにより農家戸数781のうち,自作421・自作兼小作224・小作兼自作64・小作62となり,農民の社会的・経済的地位が向上し安定をみることとなった。一方,向山台地の開拓は,国営開墾事業の推進により昭和24年東北本線の跨線水路橋,同25年幹線導水路が完成し,豊原・木ノ下・豊栄・鶉久保に相次いで水田が開かれ,同28年には320町歩の作付面積に達した。同39年八戸新産業都市地域に指定され,7社の企業進出を受け入れ,都市近郊農村として農工併進の施策を押し進めることになった。昭和13年六戸村との間,同26年三戸郡市川村との間で境界変更実施,同40・44年に六戸町の一部を当村に編入。同44年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251153
最終更新日:2009-03-01




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