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- 深山村(近世)とは
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深山村(近世) 江戸期~明治9年の村名対馬国上県【かみあがた】郡のうち対馬の北部,御岳の北麓,佐護川支流仁田ノ内川流域に位置する「津島紀略」に府中より17里31町,恵古まで3町,仁田内まで5町,井口まで16町,友谷まで24町,湊まで35町とある地名の由来は,古くは御山とも書き,林叢の地にちなむか,また三岳によるものかと伝える(津島紀略)対馬藩領佐護郷に属す「寛文検地帳」(県立対馬歴史民俗資料館蔵)では上佐護村に含まれ,「元禄郷帳」「天保郷帳」に村名が見えるが,村高は記載されていない「旧高旧領」では佐護村に含まれている元禄12年郷村帳(県史藩政編)によれば,物成155石余,戸数45・人数168(10歳以上),給人7・公役人18・肝入1・猟師16,寺2,牛40・馬30,船1また寺院は禅宗瑞雲寺・天台宗永福寺がある瑞雲寺の境内に経塚があり,大般若経文を埋めたという伝えがあり,同寺の仏像は室町期の木像で,島内で造顕されたものらしい貞享年間の神社誌には,深山村として春日大明神・つのかみ大明神・荒神が記されるが,郷村帳に記載がないのは小祠だったからであろうつのかみ大明神は永福寺領内にあり,明治7年天諸羽神社と号して村社に列した春日大明神の山麓に古来春日亀という家があり,春日部かと思われるが確証はない明治4年厳原【いずはら】県,伊万里県,同5年佐賀県を経て,長崎県に所属同9年佐護村の一部となる現在の上県町佐護字東里の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
深山村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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