ケータイ辞書JLogosロゴ 新城(近代)


青森県>青森市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ新城村,昭和30年からは青森市の大字。明治24年の戸数167・人口953,厩21,学校1,水車1(徴発物件一覧)。明治10年に新城小学が開校し,現在の新城小学校となる。昭和40年には石江小学校を統合した。明治22年に新城村役場が字平岡に開設された。昭和30年からは青森市役所新城支所となる。昭和22年新城中学校が開校,同48年に孫内中学校を合併した。昭和30年代に至って,国道7号が整備され,また青森市の人口膨張にともなって,住宅建設が活発化し,地域の姿は一変した。駅の東南方の丘陵と水田地帯(字平岡)には,昭和42年の白樺団地を皮切りに,同51年から津軽新城ニュータウン,平岡団地など大規模な住宅団地が造成され,国道の北側(字福田)に木工団地も誕生した。沿道に公共施設・商工業者の進出も目立つ。さらに西方の字天田内地内に国道7号バイパス(青森西バイパス,昭和47年に全線開通)が新設され,津軽新城駅との間の字山田に平和台団地も造成されて,田園は駅と新旧国道を中心に,ベッドタウンと商工業地区に変貌した。なお,古跡の新城館跡には昭和21年に元城山照法寺(真言宗山階派)が開かれて一部を境内とした。残りは畑地である。また天狗館跡は現在も古来の見道庵(明治以降の観音山見道寺)とその境内に使用されている。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7251250
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ