前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 鷹匠町(近世~近代)とは

「鷹匠町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

鷹匠町(近世~近代)


江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は弘前を冠称江戸期は弘前城下の1町城郭の西に位置する新町から北の五十石町に至る道筋および東へのびる鷹匠町小路,馬屋町と二階...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7251363]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
鷹匠町(近世~近代)

江戸期~昭和42年の町名江戸期は館林城下の武家町城内三の丸の西方,大名小路南裏にあった代官町の南に位置する西は城濠で,濠を隔てて町人町の片町があった,町名の由来は鷹匠の居住したことによるといい,成立年代は,戦国期とも,江戸初期ともいうが不詳(館林町誌稿)享保3年館林領の村々は鷹飼育のため鳥類殺生や川での漁業が禁止される御鷹捉飼場になり,また入る時はぬるく,出る時は熱めにと沸かした風呂を「おたかじょう」と呼んだように,鷹匠は村では恐れられる存在であったが,しかしその頃の鷹匠の屋敷地についての記録はない江戸末期の当町は中士級の居住地となっていた南東に秋元氏の位牌寺の泰安寺があったが,明治初年に廃絶,跡地には三の丸内から秋元社が移された同社はもともと出世稲荷と呼ばれていたが,秋元氏入封後に同氏先祖の霊が合祀された泰安寺跡に移転以後は,秋元氏の家紋木瓜にちなみ瓜内稲荷と改称,明治40年尾曳稲荷神社へ合祀された御神体は3代泰朝が大坂夏の陣で着用した甲冑であった明治7年代官町の一部を編入町名は,明治22年館林町館林,昭和29年からは館林市館林の通称町名として存続してきたが,同42年大手町・城町となる

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鷹匠町(近世~近代)
江戸期~昭和40年の町名江戸期は広島城下の武家屋敷地広島城の西,本川(太田川)右岸,北は空鞘町,南は鍛冶屋町町名は鷹匠の居住にちなむ(旧県史)元和5年の城下絵図には鍛冶屋町に続く竪筋に町間数190間を記し,寛永年間広島城下絵図・天明年間広島城下絵図には御鷹野部屋が見える北隣の空鞘町には延宝年間頃まで藩主鷹野(鷹狩)のための船場があった(知新集)広島藩御覚書帖によれば御用屋敷627坪,歩行以下拝領家が「空鞘辺」に31軒・8,110坪余とある(県史近世資料編)空鞘町には鷹の餌にする雀を取る餌差が住み,明治期に入ってからも長い細竿で雀を刺す風景が見られたという(続々がんす横丁)明治9年募集生徒数60人の小学模範鷹匠町学校が清住寺に開校(新修広島市史)同11年広島区,同22年広島市の町名となる明治15年広瀬村の一部を編入し,一部が空鞘町・鍛冶屋町となる大正6年の戸数1,197・人口3,764,昭和26年の世帯数245・人口968同40年本川町1~3丁目・十日市町1~2丁目となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鷹匠町(近世~近代)
江戸期~昭和41年の町名久保田鷹匠町・秋田鷹匠町ともいった江戸期は出羽国秋田郡のうち秋田藩領久保田城下町の1つ成立は寛永8年6月20日とあり(政景日記),御鷹匠町とも呼ばれたが享和3年の「出羽国郡村仮名附帳」では鷹匠町と記載されている御兵具蔵の弓形に湾曲した外濠と旭川の間に挾まれた細長い町町名が示すように鷹匠の居宅があり,慶長18年佐竹義宣が将軍にタカを献上して以来,タカの献上が慣例となっていた明治4年から秋田町の町名同11年南秋田郡に所属同22年秋田市の町名となる同7年西郭学校が建てられ,同9年に愛宕学校と合併し,保戸野中丁に移転,保戸野小学校と改称した明治18年の戸数42(秋田町字分戸数調)昭和41年住居表示実施により千秋【せんしゆう】矢留町・千秋中島町の一部となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鷹匠町(近世~近代)
江戸期~現在の町名・大字名江戸期は美濃国安八【あんぱち】郡,大垣城下町の1つもとは切石村のうちで,寛永から元禄期に侍町となる城下町西部に位置し,町名は藩主の鷹狩りに従う鷹匠が居住したことに由来家数は寛延期11,享和年間18(新修大垣市史)明治6年からは大垣鷹匠町と称し,同22年からは大垣町の大字,大正7年からは大垣市の町名となる明治8年地坪2,217坪(大垣市史)同33年の戸数6,昭和3年の戸数24・人口108(新修大垣市史)昭和51年土地区画整理事業により西外側【にしとがわ】町・西長町との間に町界変更が行われ,現町域を確定...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鷹匠町(近世~近代)
江戸期~昭和44年の町名・大字名江戸期は彦根の城下町の中の町名80~150石取りの武家屋敷地域で,町名の由来は鷹役・御鷹野御先払役らが居住したことによる曹洞宗の長純寺は,井伊直政が上野箕輪【みのわ】の住持源宝に命じて佐和山城移封後に建立したもので,直政の姉の菩提所明治22年,犬上郡彦根町の大字となり,昭和12年,彦根市鷹匠町となる昭和44年,住居表示の実施により,現行の佐和町・元町【もとまち】の各一部となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
424曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『日本ダービー記念日、植物学の日』

1932(昭和11)年、目黒競馬場で第1回の日本ダービー(東京優駿競争)が開催されました。イギリスのダービーステークスにならって企画された物で、当時の出走馬は19頭、優勝したのは1番人気のワカタカでした。

今日の暦

月齢:15

月齢:15
月名(旧歴日):望月/十五夜/天満月(あまみつつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・24日
・水
・Wednesday
・赤口

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>5日「
立夏<
・a>」まで<
・font>11日


JLogos Now!!